新世紀ベンチャー創出事業その後
2006年05月15日
なみログ at 22:27 | 技術
2006年5月15日(月)佐賀新聞朝刊21頁より
佐賀県が2001年度よりスタートして、昨年で新規採択がおわった、新世紀ベンチャー創出事業について、事業を検証する記事が掲載されている。
事業は、13の企業、個人の企画が採択され、事業を断念した個人をのぞく、12の企業、個人に2000万円ずつが助成され、先端分野の研究開発や新規事業の創出などを行なった。
記事によるとすべての案件について一応の事業化はできたが、開発された製品の売上につながらないケースもある、とある。
記事にもあるが、どうしてもマーケティングが弱いのだろう。
ほかのこのような技術開発系の助成は、製品開発は助成対象になるが、マーティング(プロモーション、市場開拓、市場調査など)のフロント部分は助成対象に入らないケースが多い。
もちろん、すべてを助成するわけではないので、県や国などの支援機関も、製品開発までは補助するが、その後のマーケティングは自前でしてくださいね、という姿勢なのはわかる。
しかし、モノはできても、売れなければなんにもならない。
マーケティングを一言で言うと、売れる仕組みづくり、という。
実践マーケッターなる神田氏は、セールスとマーケティングの違いを説明するのに、
セールスは、買う人を探すこと、
マーケティングは、商品を買いたい人を、商品の前に並べること、
という風なことを書いていた。(たしか・・) 製品開発は難しいが、マーケティングも奥が深い。
-------------------
さて、昨日、第2日曜日は、佐賀市アイスクエアビルで毎月開催している読書会の日だった。
課題小説は、氷壁(井上靖)。NHKのテレビドラマがあったこともあって、今回取り上げてみた。
(あとでテレビドラマの話になったが、小説とは少し違う脚色になっているとのことだった)
小説の登場人物は、魚津という若き登山家と、登山仲間の小坂。小坂と魚津がともに好意を抱くことになる八代美那子。そして美那子の夫と、小坂の妹かおる。
読書会のメンバーの一致した意見は、美那子の言動がゆるせない、というもので、ほとんど全否定というくらい、手厳しい評価だった。小説の中の美那子を否定するのはもちろん、そういう美那子像を書いた井上靖氏にまで批判の矛先が向いているようで、少しは予期していたとはいえ、そこまで言うか、という意見だった。
氷壁の舞台には個人的な思い入れもあったし、大学生のころ読んだときは、魚津が遭難する場面にいたっては、かなり感動した覚えがあり、この度改めて読み直したときもうっかり(?)感動したので、読書会のメンバーの手厳しい批評には、かえって冷静さを取り戻すいい意見と受け止めることができた。
よくよく考えてみると、遭難しそうな状況にあって、前へ進むことが、かおるに近づくことで、後ろへ引き帰すことは、美那子への思いを切ることができないということだ、などと、目の前に棒切れを立てて、棒の倒れた方を見て、右に行くか、左に行くか、自分の人生を占っているようなものだ。これでは神の視点に立った作者が、魚津の生命を弄んでいるだけではないかといってしまっても過言ではないだろう。
佐賀県が2001年度よりスタートして、昨年で新規採択がおわった、新世紀ベンチャー創出事業について、事業を検証する記事が掲載されている。
事業は、13の企業、個人の企画が採択され、事業を断念した個人をのぞく、12の企業、個人に2000万円ずつが助成され、先端分野の研究開発や新規事業の創出などを行なった。
記事によるとすべての案件について一応の事業化はできたが、開発された製品の売上につながらないケースもある、とある。
記事にもあるが、どうしてもマーケティングが弱いのだろう。
ほかのこのような技術開発系の助成は、製品開発は助成対象になるが、マーティング(プロモーション、市場開拓、市場調査など)のフロント部分は助成対象に入らないケースが多い。
もちろん、すべてを助成するわけではないので、県や国などの支援機関も、製品開発までは補助するが、その後のマーケティングは自前でしてくださいね、という姿勢なのはわかる。
しかし、モノはできても、売れなければなんにもならない。
マーケティングを一言で言うと、売れる仕組みづくり、という。
実践マーケッターなる神田氏は、セールスとマーケティングの違いを説明するのに、
セールスは、買う人を探すこと、
マーケティングは、商品を買いたい人を、商品の前に並べること、
という風なことを書いていた。(たしか・・) 製品開発は難しいが、マーケティングも奥が深い。
-------------------
さて、昨日、第2日曜日は、佐賀市アイスクエアビルで毎月開催している読書会の日だった。
課題小説は、氷壁(井上靖)。NHKのテレビドラマがあったこともあって、今回取り上げてみた。
(あとでテレビドラマの話になったが、小説とは少し違う脚色になっているとのことだった)
小説の登場人物は、魚津という若き登山家と、登山仲間の小坂。小坂と魚津がともに好意を抱くことになる八代美那子。そして美那子の夫と、小坂の妹かおる。
読書会のメンバーの一致した意見は、美那子の言動がゆるせない、というもので、ほとんど全否定というくらい、手厳しい評価だった。小説の中の美那子を否定するのはもちろん、そういう美那子像を書いた井上靖氏にまで批判の矛先が向いているようで、少しは予期していたとはいえ、そこまで言うか、という意見だった。
氷壁の舞台には個人的な思い入れもあったし、大学生のころ読んだときは、魚津が遭難する場面にいたっては、かなり感動した覚えがあり、この度改めて読み直したときもうっかり(?)感動したので、読書会のメンバーの手厳しい批評には、かえって冷静さを取り戻すいい意見と受け止めることができた。
よくよく考えてみると、遭難しそうな状況にあって、前へ進むことが、かおるに近づくことで、後ろへ引き帰すことは、美那子への思いを切ることができないということだ、などと、目の前に棒切れを立てて、棒の倒れた方を見て、右に行くか、左に行くか、自分の人生を占っているようなものだ。これでは神の視点に立った作者が、魚津の生命を弄んでいるだけではないかといってしまっても過言ではないだろう。