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佐賀偉人伝の書籍
東京で出会う佐賀県人の方から、佐賀の偉人について聞かれることが多いので、
佐賀偉人伝の書籍案内のWebサイトを紹介しておきます。
■佐賀偉人伝書籍のご案内(佐賀城本丸絵歴史館)
http://sagajou.jp/sagaijinden/
佐賀偉人伝の書籍案内のWebサイトを紹介しておきます。
■佐賀偉人伝書籍のご案内(佐賀城本丸絵歴史館)
http://sagajou.jp/sagaijinden/
札幌の島義勇像を見てきました。
なみログをご覧のみなさま、おはようございます。
大型連休を利用して、北海道の札幌、洞爺湖、函館を旅行してきました。
かねてより見たかった、北海道開拓の父といわれる佐賀藩士島義勇(しまよしたけ:佐賀の七賢人)の銅像を自分の目で見ることができ、感激ひとしおでした。

北海道神宮の島義勇像
写真で見ていた印象よりかなり大きいし、存在感があります。とても立派な銅像です。

札幌市役所玄関ロビーに立つ島義勇像
玄関ロビーの右手、喫茶コーナーの前に立つ像。
佐賀のみなさんも札幌へ行かれるときは、これまでもたくさんの人が足を運ばれていると思いますが、今年札幌へ行く方は、ぜひ立ち寄ってみてください。
大型連休を利用して、北海道の札幌、洞爺湖、函館を旅行してきました。
かねてより見たかった、北海道開拓の父といわれる佐賀藩士島義勇(しまよしたけ:佐賀の七賢人)の銅像を自分の目で見ることができ、感激ひとしおでした。

北海道神宮の島義勇像
写真で見ていた印象よりかなり大きいし、存在感があります。とても立派な銅像です。

札幌市役所玄関ロビーに立つ島義勇像
玄関ロビーの右手、喫茶コーナーの前に立つ像。
佐賀のみなさんも札幌へ行かれるときは、これまでもたくさんの人が足を運ばれていると思いますが、今年札幌へ行く方は、ぜひ立ち寄ってみてください。
佐賀の八賢人
佐賀の八賢人と聞いて、『もう一人はだれ?』と問い直す人は、佐賀の七賢人がすでに頭にあるからだ。
佐賀の七賢人に副島種臣の実兄である枝吉神陽を足して、佐賀の八賢人という。
果たして佐賀の八賢人という言い方はここ数年使われるようになったが、八賢伝という本が世に出されたのが大きな契機になった。
佐賀の八賢伝(出門堂)
http://www.shutsumondou.jp/hakkenden.html
企画人である某氏とは八賢伝企画当時から数年来の付き合いだが、氏と話しをすると、その企画意図が面白い。
偉人たちの墓標を作りたい
だとか、
一次情報を世に出すことが企画目的であり、それを元にして、二次利用、三次利用に使ってもらうようなものを作りたい
だとか。
一次情報が世に出ていくことで、佐賀の偉人が分かりやすく顕彰されていくという目的はある程度成果が出てきたのではないだろうか。
振り返ると、八賢伝の発行が2005年9月。
あっという間にもう7年以上の月日が経っていた。。早っ。
佐賀の七賢人に副島種臣の実兄である枝吉神陽を足して、佐賀の八賢人という。
果たして佐賀の八賢人という言い方はここ数年使われるようになったが、八賢伝という本が世に出されたのが大きな契機になった。
佐賀の八賢伝(出門堂)
http://www.shutsumondou.jp/hakkenden.html
企画人である某氏とは八賢伝企画当時から数年来の付き合いだが、氏と話しをすると、その企画意図が面白い。
偉人たちの墓標を作りたい
だとか、
一次情報を世に出すことが企画目的であり、それを元にして、二次利用、三次利用に使ってもらうようなものを作りたい
だとか。
一次情報が世に出ていくことで、佐賀の偉人が分かりやすく顕彰されていくという目的はある程度成果が出てきたのではないだろうか。
振り返ると、八賢伝の発行が2005年9月。
あっという間にもう7年以上の月日が経っていた。。早っ。
早稲田と佐賀
早稲田大学の大隈重信候の銅像を見に行く。(仕事も兼ねて)
しかし、創立者の大隈重信が佐賀出身だったということがあまり知られていない、と聞く。(が、仕方の無いことかもしれない。少しずつ知ってもらえればいいのだから)


昨年から佐賀城本丸歴史館が出している佐賀偉人伝にも、もちろん「大隈重信」がある。
早稲田大学を目指す学生諸君にもぜひ読んでもらいたい一冊だ。

しかし、創立者の大隈重信が佐賀出身だったということがあまり知られていない、と聞く。(が、仕方の無いことかもしれない。少しずつ知ってもらえればいいのだから)
昨年から佐賀城本丸歴史館が出している佐賀偉人伝にも、もちろん「大隈重信」がある。
早稲田大学を目指す学生諸君にもぜひ読んでもらいたい一冊だ。

鍋島直正アプリ iPhone版
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こんな感じです。
APPStoreで、『佐賀偉人伝』で検索すると出てきます。
800円(税込)
お正月休みの読書にぜひどうぞ!!



こんな感じです。
APPStoreで、『佐賀偉人伝』で検索すると出てきます。
800円(税込)
お正月休みの読書にぜひどうぞ!!
雲奔る
藤沢周平の小説、
『雲奔る』を連休に読んだ。
幕末から戊辰戦争後までの米沢藩士、雲井龍雄を描いた小説だ。
雲井龍雄の遺跡↓米沢市WEBサイトより
http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/kanko/rekishi/pg/r46.html
坂本龍馬ブームに乗っかり、改めて幕末、明治維新関連の本を読んでいるが、最近は、いわゆる官軍側ではなくて、奥羽越列藩同盟側の人物を描いた本を数冊読んでいる。
まだ断片的に点で読んでいるだけなので、全体像が理解できるまでには相当時間がかかるような気がしているが、あれこれと立場の違う人を読みながら、幕末から明治維新までの流れを少しは理解できればと。
西郷隆盛伝説
龍馬伝。
初めて大河ドラマをちゃんと見ていたのに、ぱったりと見なくなった。
最後にちゃんと見たのは、武市半平太の切腹の回で、そのあとは見てもすぐ消したり・・・
ちょっとひっぱり過ぎたのかもしれんねえ・・・武市さんのところはさすがに迫力があったので。
ということで、夏も過ぎ、京都や高知、長崎の観光客も増え、経済効果もかなりあったことと思う。
龍馬伝見て、いろいろと幕末の人物のことを知ることになったけど、個人的にもっと知りたいと思わせるのは、西郷隆盛だ。
この本は、佐賀市立図書館で借りたものだが、興味深い。戊辰戦争のこと、西南戦争のこと、会津のことが書かれていて、西郷と庄内藩の関係が記されている。

南洲翁遺訓って、旧庄内藩の関係者が遺したものだったということも知り、そんなことも知らなかったのか、と恥じ入るばかり。。。
初めて大河ドラマをちゃんと見ていたのに、ぱったりと見なくなった。
最後にちゃんと見たのは、武市半平太の切腹の回で、そのあとは見てもすぐ消したり・・・
ちょっとひっぱり過ぎたのかもしれんねえ・・・武市さんのところはさすがに迫力があったので。
ということで、夏も過ぎ、京都や高知、長崎の観光客も増え、経済効果もかなりあったことと思う。
龍馬伝見て、いろいろと幕末の人物のことを知ることになったけど、個人的にもっと知りたいと思わせるのは、西郷隆盛だ。
この本は、佐賀市立図書館で借りたものだが、興味深い。戊辰戦争のこと、西南戦争のこと、会津のことが書かれていて、西郷と庄内藩の関係が記されている。

南洲翁遺訓って、旧庄内藩の関係者が遺したものだったということも知り、そんなことも知らなかったのか、と恥じ入るばかり。。。
佐賀幕末維新八賢伝講演会
本日、15時まで佐賀城本丸歴史館であっていた、佐賀幕末維新八賢伝講演会に行ってきた。
講師は、福岡博氏。
しかし、島義勇という人物には興味が湧く。
いったいこの人の行った北海道開拓のさまざまなことってどれほどあるのだろうか、と。
一度も北海道の土を踏んだことが無いので、一度行かないとならないなと。
だれか島義勇の足跡を訪ねるツアーを企画してほしい。
明日の講演会のお知らせ 佐賀幕末維新 八賢伝
明日、佐賀城本丸歴史館にて、佐賀の幕末維新八賢伝の講演会が開催される。
内容は下記のとおり
■講演会名 『佐賀の幕末維新 八賢伝』
http://www.sagajou.jp/event/kokuchi.php?n=100
■日時 9月26日(日) 13時30分~15時
■場所 佐賀城本丸歴史館 http://www.sagajou.jp/
■講師 福岡博氏(佐野常民記念館名誉館長)
■定員 100名程度(事前申込無し。当日参加歓迎)
■参加費 無料
■主催 福博印刷株式会社(出版事業/出門堂)
八賢伝とは・・・
佐賀の七賢人として有名な、鍋島直正、大隈重信、江藤新平、副島種臣、佐野常民、島義勇、大木喬任の七人に、枝吉神陽(副島の兄)を加えた八人の偉業を紹介する伝記。(出門堂より出版)
佐賀の偉人を語ろう:イベントの案内
明日、6月27日(日曜日)
佐賀城本丸歴史館で、
『佐賀の偉人を語ろう』と題されたイベントが開催される。
■特設Webサイト
http://sagaijinden.sagafan.jp/e229102.html
○日時 平成22年6月27日(日曜日)
13時30分~15時
○場所 佐賀城本丸歴史館 外御書院
○内容 ・偉人は今も生きている
・もの言う多くの偉人たち
・アンケート結果
・観客の方を交えての意見交換
○パネリスト 古川 康 (佐賀県知事)
園田 寛 (佐賀新聞社論説委員)
横尾 文子(佐賀女子短期大学教授)
杉谷 昭 (佐賀城本丸歴史館長)
○応援団 大隈記念館、佐野常民記念館、佐賀市、佐賀県商工会議所連合会、(社)佐賀県観光連盟、佐賀城本丸ボランティア ほか(予定)
○参加費 無料(事前申込は不要です)
○お問合せ 佐賀城本丸歴史館 TEL 0952-41-7550
ということで、みなさんぜひご来場を!!
佐賀の偉人たち:佐賀城本丸歴史館にて
昨日、佐賀城本丸歴史館で実施された、『佐賀の偉人たち』と題する講演会に行ってきた。
ちなみに、佐賀の偉人とは、七賢人ほかの主に江戸幕末から明治に活躍した人たち。
参加者はどれくらいだろう。結構な人数の聴講だった。
三分の二の人は、佐賀の偉人というタイトルに惹かれてきていると思うので、実際話された講演の切り口には驚きがあったと思う。
佐賀の偉人の単なる伝記に沿うような話ではなくて、かれらの残した『書』に焦点をあてて、そこから偉人たちそれぞれのつながりや、エピソードに広げるという切り方。さすがだなあと感心した。
だれとだれが時代的に、あるいは思想的に近いという事実が、『書』にも表れているとか。書の世界はまったく知らないので、すべてが新鮮な話だった。
書に詳しい人にとっては当たり前の話かもしれないが、龍馬伝でにわか幕末ファンになったぼくにはとても興味深い話だった。
ということで、佐野常民記念館でもいま、書の展示があっているらしいので、興味のある方はそっちもどうぞ。
■佐野常民記念館Webサイト
■佐賀城本丸歴史館Webサイト
高田保馬博士をたたえる会
2008年2月21日(木)佐賀新聞朝刊16頁より
今日は鳥栖で取引先の会合に参加した。
詳しくは書けないが、まちづくり、について夢と意気込みを感じることができた。
鳥栖という地区は、工場や倉庫がおおく、国道もなんか埃っぽいので、あまり良い印象は正直持っていなかったが、国道沿いを離れると、緑豊かで、とても快適なまちだということが少し分かった。
目の前のビジネスに追い立てられる毎日で、いかに豊かに生活をするか、ということはほとんど考えることができないが、いま踏ん張っているのも、いつか必ず豊かな生活をおくるという夢に向かってのもの。
ただし、個人的な夢はまだまだそのあとにして、いまは、取引先の売上と利益を上げることと、一緒に働くスタッフによりよい生活をしてもらうことが先決だ。
個人的には、小説をちゃんと書きたいな、というのが今年の夢でもあり、目標だ。
さて、今朝の佐賀新聞には、なみログでも何回か取り上げている、経済・社会学者であり歌人でもあった佐賀の偉人の一人、高田保馬博士をたたえる会が、三日月町で行なわれたという記事が。
なんと、今年で14回目を迎えるということで、今回は町内外から200名が参加したとある。
佐賀の偉人を顕彰することに何の意味があるのか、という人には、
私が勤める福博印刷の出版部のF氏が、さがファンの店主訪問記で答えているので、ぜひ読んでもらいたい。
アニメや物語にはヒーローが出てきますが、卑近なことで言えば、私自身が幕末維新や明治の偉人たちをながめていると、佐賀には本当に生きていたヒーローがいるんですね。私にとっては副島種臣が正義のヒーローだったりする。実際生きたヒーローについて知ることによって、自分自身の人生の教訓、支えになったりすることがある。佐賀にかぎらず全国にたくさんいると思いますが、まだあまり知られていないような人たちの中にも、私たちが生きている上で、なんらか考えさせるような生き方をした人物、あるいは手本となるような人物がたくさんいる。そうした人々について考えることによって、さまざまな問題が提起される。
副島種臣という人物のことは、ほとんど知らないけど、ざっと知っただけでももの凄い人だと思う。
今日は鳥栖で取引先の会合に参加した。
詳しくは書けないが、まちづくり、について夢と意気込みを感じることができた。
鳥栖という地区は、工場や倉庫がおおく、国道もなんか埃っぽいので、あまり良い印象は正直持っていなかったが、国道沿いを離れると、緑豊かで、とても快適なまちだということが少し分かった。
目の前のビジネスに追い立てられる毎日で、いかに豊かに生活をするか、ということはほとんど考えることができないが、いま踏ん張っているのも、いつか必ず豊かな生活をおくるという夢に向かってのもの。
ただし、個人的な夢はまだまだそのあとにして、いまは、取引先の売上と利益を上げることと、一緒に働くスタッフによりよい生活をしてもらうことが先決だ。
個人的には、小説をちゃんと書きたいな、というのが今年の夢でもあり、目標だ。
さて、今朝の佐賀新聞には、なみログでも何回か取り上げている、経済・社会学者であり歌人でもあった佐賀の偉人の一人、高田保馬博士をたたえる会が、三日月町で行なわれたという記事が。
なんと、今年で14回目を迎えるということで、今回は町内外から200名が参加したとある。
佐賀の偉人を顕彰することに何の意味があるのか、という人には、
私が勤める福博印刷の出版部のF氏が、さがファンの店主訪問記で答えているので、ぜひ読んでもらいたい。
アニメや物語にはヒーローが出てきますが、卑近なことで言えば、私自身が幕末維新や明治の偉人たちをながめていると、佐賀には本当に生きていたヒーローがいるんですね。私にとっては副島種臣が正義のヒーローだったりする。実際生きたヒーローについて知ることによって、自分自身の人生の教訓、支えになったりすることがある。佐賀にかぎらず全国にたくさんいると思いますが、まだあまり知られていないような人たちの中にも、私たちが生きている上で、なんらか考えさせるような生き方をした人物、あるいは手本となるような人物がたくさんいる。そうした人々について考えることによって、さまざまな問題が提起される。
副島種臣という人物のことは、ほとんど知らないけど、ざっと知っただけでももの凄い人だと思う。
郷土研究に助成がでる話
2007年12月5日(水)佐賀新聞朝刊9頁より
今朝の佐賀新聞に、郷土研究に助成金を出しますよ、という話が載っている。
ちょっと佐賀新聞から抜粋すると、
鍋島報效会(鍋島直晶理事長)が、来年度の研究助成への応募を呼びかけている。
佐賀に関する人文科学や自然科学の研究が対象で、研究一件あたり25万円を上限に支援する。
とある。
助成希望者は、所定の申請用紙があるということなので、下記のWebサイトを見て、申請書をダウンロードを。
鍋島報效会Webサイト
文化芸術についてのお知らせのお知らせは終わりにして、
21面のE・クランドール記者のコラムを読む。
社会事件などのあらゆる問題が『親』だ、という指摘の、親が子供にしつけや教育ができていないという問題について、その問題定義は間違いだと記者は論じる。
なにが間違いかというと、記者いわく、親(とくに母親)がしつけや教育ができないのではなく、子どもを正しく指導する余裕がない、のが問題だとする。
なるほど、そのとおりだと思う。
能力が無いとか、放棄している、とかいう問題ではなく、余裕がないのだ。
それに加えて、私は、余裕も持てないくらいに、なにをしているのか、という点でいえば、
仕事をしているからに他ならなく、
なぜ仕事をしているか、といえば、それはお金が必要だから、仕事をしているということになる。
お金。
何のためにお金がいるのか。
結婚している夫婦でも、共働きは多い。
夫の給料だけでは、生活が厳しい、というのが実情だろう。
人はパンのみにて生きるにあらず
なんか余裕の無い生活が続いているなあ~と、自分自身を振り返ってもそう思う。
今朝の佐賀新聞に、郷土研究に助成金を出しますよ、という話が載っている。
ちょっと佐賀新聞から抜粋すると、
鍋島報效会(鍋島直晶理事長)が、来年度の研究助成への応募を呼びかけている。
佐賀に関する人文科学や自然科学の研究が対象で、研究一件あたり25万円を上限に支援する。
とある。
助成希望者は、所定の申請用紙があるということなので、下記のWebサイトを見て、申請書をダウンロードを。
鍋島報效会Webサイト
文化芸術についてのお知らせのお知らせは終わりにして、
21面のE・クランドール記者のコラムを読む。
社会事件などのあらゆる問題が『親』だ、という指摘の、親が子供にしつけや教育ができていないという問題について、その問題定義は間違いだと記者は論じる。
なにが間違いかというと、記者いわく、親(とくに母親)がしつけや教育ができないのではなく、子どもを正しく指導する余裕がない、のが問題だとする。
なるほど、そのとおりだと思う。
能力が無いとか、放棄している、とかいう問題ではなく、余裕がないのだ。
それに加えて、私は、余裕も持てないくらいに、なにをしているのか、という点でいえば、
仕事をしているからに他ならなく、
なぜ仕事をしているか、といえば、それはお金が必要だから、仕事をしているということになる。
お金。
何のためにお金がいるのか。
結婚している夫婦でも、共働きは多い。
夫の給料だけでは、生活が厳しい、というのが実情だろう。
人はパンのみにて生きるにあらず
なんか余裕の無い生活が続いているなあ~と、自分自身を振り返ってもそう思う。
佐賀徐福プロジェクト推進協議会
2007年5月20日(日)佐賀新聞朝刊20頁より
中国からの観光客を佐賀に呼び込もうと、徐福伝説にちなんだプロジェクトを立ち上げたとある。
徐福とは、中国の始皇帝からの命令で不老不死の薬草を探して日本に渡来したといわれる人物。実在していたらしい。
それで、日本に渡ってきたという伝説が日本全国にあちこちあるのだが、佐賀にも徐福伝説があり、佐賀の場合は、徐福を乗せた船が有明海に着き、それから佐賀市北にある金立山に薬草を見つけたというもの。
ということで、佐賀県としては徐福をキーワードとしたプロジェクトを立ち上げた。
記事の中で一番注目しないとならないのは、
県徐福会の村岡央麻会長(村岡屋社長)が、コメントしているところで、
「・・・中国からの空路で福岡に入りあちこちに行かれるが、佐賀には足が止まらなかった。ただ徐福関連の施設に案内すると感激される・・・」
中国人に(どのような人かは判らないが)、徐福関連の施設に案内すると<感激される>のだそうだ。
何気に書いてあるけど、これはぜひとも<なぜ感激されるのか>を掘り下げたい。
なぜなのか?
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
(トヨタ流5回のなぜ!)
徐福伝説は国内あらゆるところにあるようなので、そことの差別化も必要だ。
地理的には中国に近いかも知れないが、どうせ飛行機で来るので、あんまり地理的なメリットは無いのではと思う。(福岡空港から近いというのなら判る。ということは、福岡中心とした観光ルートのなかに、佐賀を組み込んでもらうというのもいい)
中国からの観光客を佐賀に呼び込もうと、徐福伝説にちなんだプロジェクトを立ち上げたとある。
徐福とは、中国の始皇帝からの命令で不老不死の薬草を探して日本に渡来したといわれる人物。実在していたらしい。
それで、日本に渡ってきたという伝説が日本全国にあちこちあるのだが、佐賀にも徐福伝説があり、佐賀の場合は、徐福を乗せた船が有明海に着き、それから佐賀市北にある金立山に薬草を見つけたというもの。
ということで、佐賀県としては徐福をキーワードとしたプロジェクトを立ち上げた。
記事の中で一番注目しないとならないのは、
県徐福会の村岡央麻会長(村岡屋社長)が、コメントしているところで、
「・・・中国からの空路で福岡に入りあちこちに行かれるが、佐賀には足が止まらなかった。ただ徐福関連の施設に案内すると感激される・・・」
中国人に(どのような人かは判らないが)、徐福関連の施設に案内すると<感激される>のだそうだ。
何気に書いてあるけど、これはぜひとも<なぜ感激されるのか>を掘り下げたい。
なぜなのか?
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
(トヨタ流5回のなぜ!)
徐福伝説は国内あらゆるところにあるようなので、そことの差別化も必要だ。
地理的には中国に近いかも知れないが、どうせ飛行機で来るので、あんまり地理的なメリットは無いのではと思う。(福岡空港から近いというのなら判る。ということは、福岡中心とした観光ルートのなかに、佐賀を組み込んでもらうというのもいい)
硫黄島からの遺品を遺族に返還します-という記事
2006年12月15日(金)佐賀新聞朝刊25頁より
映画、硫黄島からの手紙や、先日のフジテレビドラマ、戦場の郵便配達などで硫黄島がマスコミで取り上げられている。
今日の佐賀新聞記事に、佐賀県三養基郡みやき町のNPO「戦没者を慰霊し平和を守る会」(永田勝美理事長)の記事が出ていて、
硫黄島からの米軍帰還兵から、日章旗、帽子、手紙、を預っていて、それを遺族に返還します、
というのが載っている。
新聞記事は、日章旗に書かれた文字や、帽子に書かれた名前、皮製の手袋にも名前があるということで、紹介されている。
詳しくは佐賀新聞の記事を
映画、硫黄島からの手紙や、先日のフジテレビドラマ、戦場の郵便配達などで硫黄島がマスコミで取り上げられている。
今日の佐賀新聞記事に、佐賀県三養基郡みやき町のNPO「戦没者を慰霊し平和を守る会」(永田勝美理事長)の記事が出ていて、
硫黄島からの米軍帰還兵から、日章旗、帽子、手紙、を預っていて、それを遺族に返還します、
というのが載っている。
新聞記事は、日章旗に書かれた文字や、帽子に書かれた名前、皮製の手袋にも名前があるということで、紹介されている。
詳しくは佐賀新聞の記事を
出門堂ブログ開設!!
市丸利之助伝 講演会のお知らせ
急ですが、明日佐賀県美術館ホールで開催される講演会のお知らせです。
■平川祐弘講演会
(ひらかわすけひろ 1931年東京生れ 東京大学名誉教授他)
■題目:「米国大統領へ遺書をのこした軍人歌人・市丸利之助」
■日時:7月8日(土)午後2時縲・時半
■場所:佐賀県立美術館ホール
■講演内容
硫黄島で玉砕した海軍航空部隊指揮官・市丸利之助(唐津出身)は時の米国大統領ルーズベルトに宛てて日文・英文の遺書をのこしました。この手紙は激烈な戦火をくぐり抜け、米国に現存します。遺作和歌などを通してたどった筆者渾身の評伝を記念して、講演を開催します。
(講演案内より)
明日の午後の予定がまだ決まっていない方、ぜひ足をお運びください。
■関連サイト:福博印刷株式会社 出門堂
■平川祐弘講演会
(ひらかわすけひろ 1931年東京生れ 東京大学名誉教授他)
■題目:「米国大統領へ遺書をのこした軍人歌人・市丸利之助」
■日時:7月8日(土)午後2時縲・時半
■場所:佐賀県立美術館ホール
■講演内容
硫黄島で玉砕した海軍航空部隊指揮官・市丸利之助(唐津出身)は時の米国大統領ルーズベルトに宛てて日文・英文の遺書をのこしました。この手紙は激烈な戦火をくぐり抜け、米国に現存します。遺作和歌などを通してたどった筆者渾身の評伝を記念して、講演を開催します。
(講演案内より)
明日の午後の予定がまだ決まっていない方、ぜひ足をお運びください。
■関連サイト:福博印刷株式会社 出門堂
原爆の被爆体験を聞く会
2006年7月3日(月)佐賀新聞朝刊24頁より
7月2日、佐賀市の日新公民館で、原爆の被爆体験を聞く会が開かれたとある。
20代、30代の若者が対象者で、佐賀県内、長崎、福岡から、23人の若者が参加した。
同じく7月2日、私はひとりで長崎市内を車で走った。
どこに行くというあてもなく、朝、太良方面に行ってみようと思い立ち、そのまま長崎へ。
道を思い出せるなら、坂本竜馬の銅像のある、風頭公園にでも行ってみようと思ったりもしたが、結局どこから山に登るのか検討がつかず、あっというまに長崎市役所、長崎県庁へ。
長崎県庁の突き当たりを左に折れて、こんどは茂木へ。
いったい俺は何をしているのだろう、と思いつつ、風光明媚な湾岸道路を楽しんだ。茂木びわはすっかり収穫されていた・・
話はもとに戻るが、原爆に関することでは、二年前の夏に、読書会のメンバーで原爆資料館に行ったことだ。小学校以来に行くことになった原爆資料館。当時見た記憶のある、原子力爆弾の模型やら、歪んだ瓶。黒焦げの弁当箱などがそこにはあった。
私自身、資料館には足を運んだとはいえ、原爆の悲惨さをほとんど知らない。
また同じような会合が佐賀市内かどこかであるようだったら、ぜひ参加してみたい。
7月2日、佐賀市の日新公民館で、原爆の被爆体験を聞く会が開かれたとある。
20代、30代の若者が対象者で、佐賀県内、長崎、福岡から、23人の若者が参加した。
同じく7月2日、私はひとりで長崎市内を車で走った。
どこに行くというあてもなく、朝、太良方面に行ってみようと思い立ち、そのまま長崎へ。
道を思い出せるなら、坂本竜馬の銅像のある、風頭公園にでも行ってみようと思ったりもしたが、結局どこから山に登るのか検討がつかず、あっというまに長崎市役所、長崎県庁へ。
長崎県庁の突き当たりを左に折れて、こんどは茂木へ。
いったい俺は何をしているのだろう、と思いつつ、風光明媚な湾岸道路を楽しんだ。茂木びわはすっかり収穫されていた・・
話はもとに戻るが、原爆に関することでは、二年前の夏に、読書会のメンバーで原爆資料館に行ったことだ。小学校以来に行くことになった原爆資料館。当時見た記憶のある、原子力爆弾の模型やら、歪んだ瓶。黒焦げの弁当箱などがそこにはあった。
私自身、資料館には足を運んだとはいえ、原爆の悲惨さをほとんど知らない。
また同じような会合が佐賀市内かどこかであるようだったら、ぜひ参加してみたい。
高田保馬博士のミュージカル
2005年2月21日佐賀新聞朝刊22頁「まちむらトピックス」より
佐賀県三日月町出身で社会学・経済学の先駆者である高田保馬博士。
このブログでも一度取り上げたことがある人だが、博士の顕彰会が同町で開かれ、博士の生涯を題材にしたミュージカル「YASUMA」が演じられたとある。
ミュージカルは、「三日月産ミュージカルを作ろう隊」がオリジナルで作ったとあり、劇中歌の「ふるさと三日月」は、博士が残した短歌に同町の若者が曲をつけた。
このように地域の人物にスポットをあてた演劇やミュージカルは県内でいくつくらい上演されているのだろうか?そんなことを考える。
小学生の頃、学期末にお楽しみ会というものがあって、五、六年のときはかなり凝った芝居をした覚えがある。そのとき芝居の下敷きにしたのは、太陽にほえろと、映画の里見八犬伝だった(笑)。
いま思い返せば、地域の人物を取り上げた芝居にすればよかったな、と思ったりする。
そんな小学生は少ないだろうが。。
※ここ数年ラーメンをはじめとするご当地こだわりブームが続いている。演劇をはじめ、文学、音楽などの芸術は地域性を反映するものが多い。佐賀県にもいろいろご当地こだわりの芸術もある。すでに全国的なものもあるだろうが、もっと知ってもらうことができないだろうか。。
佐賀県三日月町出身で社会学・経済学の先駆者である高田保馬博士。
このブログでも一度取り上げたことがある人だが、博士の顕彰会が同町で開かれ、博士の生涯を題材にしたミュージカル「YASUMA」が演じられたとある。
ミュージカルは、「三日月産ミュージカルを作ろう隊」がオリジナルで作ったとあり、劇中歌の「ふるさと三日月」は、博士が残した短歌に同町の若者が曲をつけた。
このように地域の人物にスポットをあてた演劇やミュージカルは県内でいくつくらい上演されているのだろうか?そんなことを考える。
小学生の頃、学期末にお楽しみ会というものがあって、五、六年のときはかなり凝った芝居をした覚えがある。そのとき芝居の下敷きにしたのは、太陽にほえろと、映画の里見八犬伝だった(笑)。
いま思い返せば、地域の人物を取り上げた芝居にすればよかったな、と思ったりする。
そんな小学生は少ないだろうが。。
※ここ数年ラーメンをはじめとするご当地こだわりブームが続いている。演劇をはじめ、文学、音楽などの芸術は地域性を反映するものが多い。佐賀県にもいろいろご当地こだわりの芸術もある。すでに全国的なものもあるだろうが、もっと知ってもらうことができないだろうか。。
北海道開拓と佐賀の関係
2004年11月13日佐賀新聞朝刊22頁より
興味深い記事が載っている。
11日に佐賀市で開かれた佐賀ふるさと学セミナーで、県職員の佐久間氏による「北海道開拓の礎となった佐賀県の人々」という講演での内容だ。
北海道開拓といえば佐賀藩士の島義勇が知られているが、島以外に何人の佐賀藩民が北海道の土を踏んだかというと、明治四年に釧路に集団入植したものたちだけでもなんと290人にも上るという。
しかし、慣れない北海道での厳しい生活に、約1割の人がその一年後に亡くなり、その後6割の入植者は釧路を離れて札幌へと移ったということ。
佐久間氏はあまり知られていない北海道開拓民の史実を調査し、明らかにしていきたいと語っている。
北海道と佐賀の関係。まだ知らないことがたくさんありそうだ。
興味深い記事が載っている。
11日に佐賀市で開かれた佐賀ふるさと学セミナーで、県職員の佐久間氏による「北海道開拓の礎となった佐賀県の人々」という講演での内容だ。
北海道開拓といえば佐賀藩士の島義勇が知られているが、島以外に何人の佐賀藩民が北海道の土を踏んだかというと、明治四年に釧路に集団入植したものたちだけでもなんと290人にも上るという。
しかし、慣れない北海道での厳しい生活に、約1割の人がその一年後に亡くなり、その後6割の入植者は釧路を離れて札幌へと移ったということ。
佐久間氏はあまり知られていない北海道開拓民の史実を調査し、明らかにしていきたいと語っている。
北海道と佐賀の関係。まだ知らないことがたくさんありそうだ。