原爆の被爆体験を聞く会
2006年07月03日
なみログ at 19:09 | 歴史
2006年7月3日(月)佐賀新聞朝刊24頁より
7月2日、佐賀市の日新公民館で、原爆の被爆体験を聞く会が開かれたとある。
20代、30代の若者が対象者で、佐賀県内、長崎、福岡から、23人の若者が参加した。
同じく7月2日、私はひとりで長崎市内を車で走った。
どこに行くというあてもなく、朝、太良方面に行ってみようと思い立ち、そのまま長崎へ。
道を思い出せるなら、坂本竜馬の銅像のある、風頭公園にでも行ってみようと思ったりもしたが、結局どこから山に登るのか検討がつかず、あっというまに長崎市役所、長崎県庁へ。
長崎県庁の突き当たりを左に折れて、こんどは茂木へ。
いったい俺は何をしているのだろう、と思いつつ、風光明媚な湾岸道路を楽しんだ。茂木びわはすっかり収穫されていた・・
話はもとに戻るが、原爆に関することでは、二年前の夏に、読書会のメンバーで原爆資料館に行ったことだ。小学校以来に行くことになった原爆資料館。当時見た記憶のある、原子力爆弾の模型やら、歪んだ瓶。黒焦げの弁当箱などがそこにはあった。
私自身、資料館には足を運んだとはいえ、原爆の悲惨さをほとんど知らない。
また同じような会合が佐賀市内かどこかであるようだったら、ぜひ参加してみたい。
7月2日、佐賀市の日新公民館で、原爆の被爆体験を聞く会が開かれたとある。
20代、30代の若者が対象者で、佐賀県内、長崎、福岡から、23人の若者が参加した。
同じく7月2日、私はひとりで長崎市内を車で走った。
どこに行くというあてもなく、朝、太良方面に行ってみようと思い立ち、そのまま長崎へ。
道を思い出せるなら、坂本竜馬の銅像のある、風頭公園にでも行ってみようと思ったりもしたが、結局どこから山に登るのか検討がつかず、あっというまに長崎市役所、長崎県庁へ。
長崎県庁の突き当たりを左に折れて、こんどは茂木へ。
いったい俺は何をしているのだろう、と思いつつ、風光明媚な湾岸道路を楽しんだ。茂木びわはすっかり収穫されていた・・
話はもとに戻るが、原爆に関することでは、二年前の夏に、読書会のメンバーで原爆資料館に行ったことだ。小学校以来に行くことになった原爆資料館。当時見た記憶のある、原子力爆弾の模型やら、歪んだ瓶。黒焦げの弁当箱などがそこにはあった。
私自身、資料館には足を運んだとはいえ、原爆の悲惨さをほとんど知らない。
また同じような会合が佐賀市内かどこかであるようだったら、ぜひ参加してみたい。
この記事へのコメント
原爆の2文字を見てコメントせずにはいられませんでした。私の父方の家族は、広島のほぼ爆心地で被爆して亡くなりました。学徒動員に出ていた伯母が50代の若さで亡くなる前に、修学旅行に来た子ども達に被爆体験を語った原稿を私は今でも大事に持っています。伯母はもうこの世にはいませんので、これを語り継ぐのは私の役目だと思っています。若い方々が被爆体験を聞く会に参加されたとのこと、嬉しく思います。戦争の悲惨さ、むごさを心で感じることが、真の平和を願う源になるような気がします。8月6日に私のブログで書いた日記をリンクしていますので、よかったらのぞいてみてください。
Posted by kino at 2006年07月03日 20:58
kinoさんコメントありがとうございます。
原爆について、僕があれこれと言うのは憚られるのですが、僕たちの世代はほんとうに何も知らないと思います。テレビや映画や、マンガであの手この手で原爆の悲惨さが伝えられていますが、イラク戦争などがテレビ放映されたり、国内でも凄惨を極める事件や事故が多いと、ほんとうは比較にならないくらいの大惨事だった原爆の被害が、なぜだか、逆に矮小化されて連想されてしまうようです。
今度また仕事が落ち着きましたら、いろいろお話聞かせてください。
Posted by なみ at 2006年07月04日 20:38