佐賀の八賢人
2013年03月23日
なみログ at 00:29 | 歴史
佐賀の八賢人と聞いて、『もう一人はだれ?』と問い直す人は、佐賀の七賢人がすでに頭にあるからだ。
佐賀の七賢人に副島種臣の実兄である枝吉神陽を足して、佐賀の八賢人という。
果たして佐賀の八賢人という言い方はここ数年使われるようになったが、八賢伝という本が世に出されたのが大きな契機になった。
佐賀の八賢伝(出門堂)
http://www.shutsumondou.jp/hakkenden.html
企画人である某氏とは八賢伝企画当時から数年来の付き合いだが、氏と話しをすると、その企画意図が面白い。
偉人たちの墓標を作りたい
だとか、
一次情報を世に出すことが企画目的であり、それを元にして、二次利用、三次利用に使ってもらうようなものを作りたい
だとか。
一次情報が世に出ていくことで、佐賀の偉人が分かりやすく顕彰されていくという目的はある程度成果が出てきたのではないだろうか。
振り返ると、八賢伝の発行が2005年9月。
あっという間にもう7年以上の月日が経っていた。。早っ。
佐賀の七賢人に副島種臣の実兄である枝吉神陽を足して、佐賀の八賢人という。
果たして佐賀の八賢人という言い方はここ数年使われるようになったが、八賢伝という本が世に出されたのが大きな契機になった。
佐賀の八賢伝(出門堂)
http://www.shutsumondou.jp/hakkenden.html
企画人である某氏とは八賢伝企画当時から数年来の付き合いだが、氏と話しをすると、その企画意図が面白い。
偉人たちの墓標を作りたい
だとか、
一次情報を世に出すことが企画目的であり、それを元にして、二次利用、三次利用に使ってもらうようなものを作りたい
だとか。
一次情報が世に出ていくことで、佐賀の偉人が分かりやすく顕彰されていくという目的はある程度成果が出てきたのではないだろうか。
振り返ると、八賢伝の発行が2005年9月。
あっという間にもう7年以上の月日が経っていた。。早っ。