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北海道開拓と佐賀の関係

2004年11月13日

 なみログ at 15:12 | 歴史
2004年11月13日佐賀新聞朝刊22頁より

興味深い記事が載っている。
11日に佐賀市で開かれた佐賀ふるさと学セミナーで、県職員の佐久間氏による「北海道開拓の礎となった佐賀県の人々」という講演での内容だ。

北海道開拓といえば佐賀藩士の島義勇が知られているが、島以外に何人の佐賀藩民が北海道の土を踏んだかというと、明治四年に釧路に集団入植したものたちだけでもなんと290人にも上るという。
しかし、慣れない北海道での厳しい生活に、約1割の人がその一年後に亡くなり、その後6割の入植者は釧路を離れて札幌へと移ったということ。

佐久間氏はあまり知られていない北海道開拓民の史実を調査し、明らかにしていきたいと語っている。

北海道と佐賀の関係。まだ知らないことがたくさんありそうだ。


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この記事へのコメント

開拓団に、佐賀藩民も、多かったということなのか、それとも佐賀藩民が特に多かったということなのか。290人という数字が全体からみてどの程度なのか、ちょっと興味深い内容ですね。
なんで佐賀藩が北海道の開拓に力を入れたのか、その歴史を知らない私には不思議でもあるし。

勝手ながら、私のブログページにリンクを貼らせていただきました。もず
Posted by もず at 2004年11月14日 15:56

もずさん。コメントありがとうございます。立派なブログサイトですね。関心しました。文学のみならず、末永くよろしくどうぞ。
Posted by なみ at 2004年11月14日 21:36

佐賀県人と北海道の関わりについては意外と知られていないですね。
 実は、小生の母方は杵島郡白石町ですが、昭和初年頃、この地方から多くの人が網走地区に入植したようです。
 小生、幼稚園児の頃、一家揃って丸瀬布の叔父。藻琴の叔母を夏休みを利用して訪れたことがあります。
 このことから、北海道への佐賀県民の移植について勉強を始めたばかり。
 最近は原田康子の「海霧」。佐々木譲の「武揚伝」を読み終えたばかりです。
 「海霧」は佐賀の商店に丁稚奉公に入った主人公が北方、多久の炭坑経験から、北海道釧路に渡り海産物問屋など手広く商いをして成功する話。
 著者の曾爺さんに当たるようです。
 釧路では佐賀弁の「おんじさん」「おばっちゃん」と言うそうです。
 釧路と佐賀の関係をもっと詳しく調べようと思っています。
 加賀乙彦の「湿原」という名作も読みましたし、興味深い街です。
Posted by muracho at 2005年01月04日 09:06

muracho様コメントありがとうございます。
北海道と佐賀の関係は面白そうです。原田康子氏の小説は、佐賀新聞紙面に掲載されている「文学の風景」というコラムで紹介されたことがあります。
なみログは、マーケティングやWebに関することを主に取り上げるので、文化的なものの取り上げは少ないですが、今年は文化的なものももっと取り上げていきたいと思っています。たまに覗いてください。
Posted by なみ at 2005年01月05日 21:48

拝啓、情報集めをしていたら偶然、皆様のコメントを拝見しました。佐賀新聞紙面のとおり、去る11月11日夜、佐賀市内で「北海道開拓の礎となった佐賀の人々」と称して報告した佐久間です。現在までの動きを簡単に御報告しますと、明治4年秋、佐賀藩内から釧路厚岸方面の開拓に向かった約290名の農工民の名前がほぼ分かり、うち21名が翌春までに死亡する悲惨な状況だったこと。また、明治6年?に少なくとも38名が佐賀に戻ったことや、明治5年、札幌周辺に再移住した165名のうち、数名の痕跡が資料に残っていました。が、当時、戸籍づくりがようやく内地で始まったばかりで、現地では資料が非常に限られ、かなり難航しています。これ以外に、屯田兵として渡道した人々の足跡なども調べていますが、原田康子氏の「海霧」にもあるとおり、明治時代の釧路・厚岸地方の経済を佐賀県出身者が大きく左右し、地元では彼らを「釧路佐賀勢」と呼んでいた事を今回初めて知り、このテーマも調べようと思っています。なお、「釧路佐賀勢」の中心人物、武富氏や中川氏という人々は佐賀市内の道祖元町(さやのともまち)という同じ集落出身者だったことにも興味を持っています。最後に、11/13の佐賀新聞のどこかで記事を見ていただけたのか、北海道滝川、札幌、釧路の方から電話等を頂戴しました。もう少し動きがありましたら、皆様にも御報告させて頂きます。
Posted by さくま at 2005年01月14日 09:53

追伸 佐久間です。 佐賀新聞のHPからデータベースを利用頂き、「北海道」「佐賀藩」「開拓民」といったキーワードで検索頂くと、15/10/30に、まず、県内向けに情報提供を呼びかけた私の投書の内容が出てきます。そこに今回の佐賀藩釧路開拓民の概略を述べていますのでご参照下さい。なお、佐賀新聞さんのデータベースは利用制限がかかっているため、1月は次のパスワード等が必要です。
ID:dbd、パスワード:701(いずれも半角)
Posted by さくま at 2005年01月14日 11:30

さくま様書込みありがとうございます。
北海道の佐賀の関係がいろいろあるなんて、北と南で、興味深いなーと思っています。以前になみログでは、昨年夏の甲子園優勝校の監督が佐賀商業高校出身の方だったというニュース、島義勇の像が札幌にあるということを伝え、佐賀と北海道の関わりに少しばかり着目しています。これからもよろしくお願いいたします。
Posted by なみ at 2005年01月14日 23:23

私も自分の先祖探しをリサーチしているものです。
3年ばかりかけてようやく 自分の先祖が佐賀県出身で
北海道へ屯田兵として明治26年(屯田兵の後半か終わり頃)入植したことがわかりました。
記録は北海道庁と国会図書館にありました。HP検索もしました。
現在は埼玉にいますが 実家は北海道旭川なので北海道の歴史として大変興味があったのですが 埼玉に来てから
父から(亡くなりましたが) 系図の案内をみせてもらい
祖先が佐賀県であることが判明しました。
入植先は旭川近郊の当麻町であることも分かりました。
入植人数 40名近くとの事です。
当麻町歴史館に屯田兵の歴史が保存されているそうです。
この場所にはまだ行っていませんので行こうと思っています。もし佐賀県側で明治26年頃の屯田兵入植の資料等があれば佐賀県に一度訪ねたいとも思ってもいます。 名前は 西 林太郎 といいます。もし佐賀県に資料があればご案内願います。 私も 年齢が 60歳近いので 自分が生きている間に 子供達に正確に伝えればと感じてもいます。

 今後ともこのHPは見させて頂きます。 
Posted by 埼玉@ひろゆき at 2005年05月14日 07:56

埼玉@ひろゆき様コメントありがとうございます。
佐賀県からの情報提供については、このブログを見ているひとで何かわかる方がいらしたら、書込みをお願いしたいと思います。このブログは佐賀新聞社の人も見ているみたいなので(佐賀新聞社様今後ともよろしくお願いしますm( )m)佐賀県と北海道の関係の情報はいろいろと出てくるかも知れません。佐賀新聞に掲載されればできるだけなみログでも取り上げるように考えています。
旭川が実家ということで、いつ頃までいらしたのですか?私の父は赤平高校を卒業しています。私の祖父が炭鉱の仕事だったので、数年間北海道に住んでいました。
地図で見ると旭川と赤平も近いですね。父はS16年生れですので、同世代ですね。
たまにのぞいていただければと思います。
Posted by なみ at 2005年05月14日 22:58

川浪さんのお父さんが住友赤平炭坑におられたとの事。
懐かしいですね。
私は札幌に仕事の都合で10年ほどいたのですが其のころ
住友赤平には何度か仕事で行った事がありました。(55年頃だったと思います。)確か滝川駅でバスに乗り換えたと思います。その後 私は仕事の都合で埼玉へきましたので。
あれから赤平へは行っていません。滝川を通る度にここに来たことを懐かしく思い出しています。そのころはすごく活気がありましたね。ぼたやまもあり、石炭専用列車が苫小牧へ
何十両も連ねて出て行く姿が思い出します。
また大きな風呂にも入ったことも思い出します。
先祖探しが 自分自身の回顧になってしまいました。
ありがとうございます。
Posted by 埼玉@ひろゆき at 2005年05月17日 22:46

書込みありがとうございます。
うちの父は、赤平高校から東京の私立大学に行ったのですが、その後佐賀に帰ってきたものだから、赤平高校の同窓生の中では行方不明扱いされていたそうです(笑)。それが、消息を知った方が突然40年ぶりくらいに電話をかけてこられて、4年前に北海道での同窓会に出席しました。面白いですね。それではまたよろしくどうぞ。
Posted by なみ at 2005年05月18日 08:37

拝啓、「埼玉ひろゆき」様のコメント拝見しました。さっそく、自宅にあった「屯田百年史」のコピーを調べたところ、「西林太郎」様は、明治26年5月に「当麻西兵村」に入植された方たち200戸のお一人(番号160番。ご家族は6名)だったようです。ただ、残念ながら、当麻町史には出身元が「佐賀県」としか記載がなく、それ以上の出身地の手がかりはありませんでした。なお、私は今も明治4年に佐賀から釧路に渡った佐賀藩民の記録を捜しに、佐賀県立図書館の資料室によく出かけていますので、もしかしたら、当時の屯田兵募集の資料等があるかもしれません。何か手がかりがあればまたご報告させていただきます。佐賀県佐久間
Posted by 佐久間 at 2005年06月14日 21:48

埼玉@ひろゆき様のお調べの内容の件。佐賀藩道東開拓団の資料集めによく覗かせてもらう北海道大学図書館の「北方資料データベース」を見たところ、番号910の「西当麻兵村(屯田歩兵第3大隊第1中隊)全69ページ」の19,30,36ページに「西 林太郎」様の所有地等の記述がありました。また、資料911にも「西当麻兵村」という資料がありましたが、500ページ以上あるため、残念ながら見きっていません。もし、よろしければ皆様のほうでも同資料をご覧下さい。yahoo等で「北方資料データベース」と検索されるとつながると思います。取り急ぎご参考まで。佐賀県佐久間

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北海道開拓と佐賀の関係
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久々にインターネットで調べると、でてくるもんだなぁと実感しました。

小学生の頃に開拓使・屯田兵を学校で習った記...
Posted by さくま at 2005年06月15日 08:44
んにちわ
たまたま当麻の事を調べていて
ここを見つけました
私の曾祖父は大殿静作と言い
当麻西兵村戸番号191に入植し
10月31まで有ったHPが閉鎖されてもうみれないのですが西さんも
その中に記載されていたのでしょう
曾祖父の記載には
徳島出身 妻の名前現在北海道に住む直系子孫とか書いてありました
後は当麻開拓資料館へ行って見るしか無いようです
Posted by 大殿 at 2010年11月06日 05:57