新・田舎主義 宣言
2006年06月29日
なみログ at 23:18
2006年6月29日(木)佐賀新聞朝刊1頁より
佐賀新聞が今年1月から特集を組んで、さまざまな角度から田舎を捉えてきた、
新・田舎主義。
今朝の佐賀新聞に、「新・田舎主義宣言」というものがドーンと掲載されている。
新・田舎主義宣言
人がつくる、人をつくる
地域づくりは一人一人が主役。生き生きと活動する多くの人材を育て、多世代交流型のコミュニティーを目指そう
認め合い、支え合う
助け合い、お互いさまの心を見直し、人と人のつながりを大切に、安全・安心のまちづくりを進めよう
"宝" を知り、誇る
地域に息づく自然、景観、歴史、文化そのものが ”宝”。掘り起こし、みんなの誇りにしよう
ほどよさを楽しむ
健やかで伝統的な暮らしのリズムを大切にして、豊かなスローライフを楽しもう
元気づくりに力を集める
地方を再生し、活力とにぎわいを復活させるため、みんなの知恵を集め、立ち上がろう
(以上佐賀新聞より)
おととい、読書会のメンバー数人で食事会ということで小料理屋に集まり、あれこれ議論をすることになった。ひとつは、朝ズバのみのもんた氏を受け入れることができるか、どうか。
もうひとつは、自立した国家に日本がなるには、どうしたらなれるかどうか。
前者はあまりにも世俗的なテーマで、後者は、読書会のメンバーでは結論がでるようなものでは毛頭なかった。(苦笑)
まず、みのもんた氏。私としては、彼が早朝から、世間をゆるがす大事件の数々に、ズバッと物申すあの演出は、見ていてスカッとする人が多いんだろうなあーと思っている。
私自身がその内容のひとつひとつに左右されることは無いので、客観的にだが、これだけ大事件が多く、夜のニュースみていてもイマイチ歯切れが悪かったりすると、あのみのもんた氏の演出は、視聴者の気持ちをつかんだりするんだろうなあと。
ビジネス的に見ているので、彼のパフォーマンスは、プレゼンテーションに使えるなと思いながら見ているのだけれど。
さて、本題の新・田舎主義。
佐賀県が佐賀県だけでこの日本に存在するのなら、もしくは経済的、情報的にも、ある一定の距離をもって佐賀県、佐賀県民が生活できるのなら。
新・田舎主義なんていわなくてもいいくらいに、なし崩しの金太郎飴的な、地方の一地域にはならなかっただろう。
佐賀県民だけの問題ではないなーという感じがする。いくら佐賀県民ががんばっても、田舎の自然を壊す公共事業は行なわれるわけだし、郊外には大手のショッピングモールの進出はもちろん止めることなんてできない。パチンコ屋だって、人口の割には多い気がするけど、鹿児島や宮崎がもっと多いとかを知ると、まだまだだなって訳のわからない納得の仕方で済ませてしまったりする。(私だけ)
ゲーム理論。というのは、堀江氏の件でも話題になった理論で、ゲーム理論は、競争相手が必ずいるという状況で、どういう選択をしたら、自分が勝つかを考えるというもの。
佐賀県が、新・田舎主義をまっとうするために、どんな外的脅威が、佐賀県に向かってくるのか。
それから、その外的脅威になびく人や組織、団体が、今度は内部にも出てきたりはしないか。
そういう抵抗勢力?侵略勢力?に対して、本当に、新・田舎主義を疑うことなく、継続して続けられるかどうか。
江戸時代の封建制度のような社会であれば、藩主の一声で、とにかくいまは我慢のときじゃ、と言って、新・田舎主義を貫くこともできるかもしれないが、いまの若者の心を捉えるには、お題目だけではダメのような気がする。
だからといって、最初からあきらめずに、新・田舎主義を念頭において、地域づくりをしていくのは必要だと思う。
個人的には新・田舎主義とはいえ、その生活の基盤となるところの、経済の活力が無いことにはどうしようもないと思っていて、それがWebビジネスで少しでも、一部でも解決できないものかと日々考えている。
佐賀新聞が今年1月から特集を組んで、さまざまな角度から田舎を捉えてきた、
新・田舎主義。
今朝の佐賀新聞に、「新・田舎主義宣言」というものがドーンと掲載されている。
新・田舎主義宣言
人がつくる、人をつくる
地域づくりは一人一人が主役。生き生きと活動する多くの人材を育て、多世代交流型のコミュニティーを目指そう
認め合い、支え合う
助け合い、お互いさまの心を見直し、人と人のつながりを大切に、安全・安心のまちづくりを進めよう
"宝" を知り、誇る
地域に息づく自然、景観、歴史、文化そのものが ”宝”。掘り起こし、みんなの誇りにしよう
ほどよさを楽しむ
健やかで伝統的な暮らしのリズムを大切にして、豊かなスローライフを楽しもう
元気づくりに力を集める
地方を再生し、活力とにぎわいを復活させるため、みんなの知恵を集め、立ち上がろう
(以上佐賀新聞より)
おととい、読書会のメンバー数人で食事会ということで小料理屋に集まり、あれこれ議論をすることになった。ひとつは、朝ズバのみのもんた氏を受け入れることができるか、どうか。
もうひとつは、自立した国家に日本がなるには、どうしたらなれるかどうか。
前者はあまりにも世俗的なテーマで、後者は、読書会のメンバーでは結論がでるようなものでは毛頭なかった。(苦笑)
まず、みのもんた氏。私としては、彼が早朝から、世間をゆるがす大事件の数々に、ズバッと物申すあの演出は、見ていてスカッとする人が多いんだろうなあーと思っている。
私自身がその内容のひとつひとつに左右されることは無いので、客観的にだが、これだけ大事件が多く、夜のニュースみていてもイマイチ歯切れが悪かったりすると、あのみのもんた氏の演出は、視聴者の気持ちをつかんだりするんだろうなあと。
ビジネス的に見ているので、彼のパフォーマンスは、プレゼンテーションに使えるなと思いながら見ているのだけれど。
さて、本題の新・田舎主義。
佐賀県が佐賀県だけでこの日本に存在するのなら、もしくは経済的、情報的にも、ある一定の距離をもって佐賀県、佐賀県民が生活できるのなら。
新・田舎主義なんていわなくてもいいくらいに、なし崩しの金太郎飴的な、地方の一地域にはならなかっただろう。
佐賀県民だけの問題ではないなーという感じがする。いくら佐賀県民ががんばっても、田舎の自然を壊す公共事業は行なわれるわけだし、郊外には大手のショッピングモールの進出はもちろん止めることなんてできない。パチンコ屋だって、人口の割には多い気がするけど、鹿児島や宮崎がもっと多いとかを知ると、まだまだだなって訳のわからない納得の仕方で済ませてしまったりする。(私だけ)
ゲーム理論。というのは、堀江氏の件でも話題になった理論で、ゲーム理論は、競争相手が必ずいるという状況で、どういう選択をしたら、自分が勝つかを考えるというもの。
佐賀県が、新・田舎主義をまっとうするために、どんな外的脅威が、佐賀県に向かってくるのか。
それから、その外的脅威になびく人や組織、団体が、今度は内部にも出てきたりはしないか。
そういう抵抗勢力?侵略勢力?に対して、本当に、新・田舎主義を疑うことなく、継続して続けられるかどうか。
江戸時代の封建制度のような社会であれば、藩主の一声で、とにかくいまは我慢のときじゃ、と言って、新・田舎主義を貫くこともできるかもしれないが、いまの若者の心を捉えるには、お題目だけではダメのような気がする。
だからといって、最初からあきらめずに、新・田舎主義を念頭において、地域づくりをしていくのは必要だと思う。
個人的には新・田舎主義とはいえ、その生活の基盤となるところの、経済の活力が無いことにはどうしようもないと思っていて、それがWebビジネスで少しでも、一部でも解決できないものかと日々考えている。
この記事へのコメント
こんばんは。ご無沙汰してます。
新・田舎主義の特集私たちも興味深く見ています。
(あたしものってたりして^^;)
田舎に経済活動の手段がないと思っているのが
問題なのじゃないかと思います。
そういう風にしか考えられない子ども(いつかは大人)しか育てられないと困ったことになるでしょうね。
そうそう確かに、田舎でいよう!と主張し出すと、
田舎で苦労してきた方々は反発しそうです…(いや、かなり…)
Posted by ゆんた at 2006年06月30日 20:51
ゆんたさんこんにちは。
ご無沙汰してまーす。
言われるとおりなんですねー。あまりにも田舎バンザイ!!といっちゃうと、経済面など、本当に大丈夫なのかどうか。とはいえ、前にも書いた、年に数億利益をあげる、産直市場の働きぶりが果たして田舎の生活なのかどうか。(スーパー以上に忙しかったりして・・)
新・田舎主義なので、これまでの田舎ではない生活。
そこに期待をしています。
Posted by なみ at 2006年07月01日 13:30