阪神大震災から18年
2013年01月17日
なみログ at 17:47 | 地域
1月17日、阪神大震災から18年になりました。
18年前、私はどういう思いか、行かなければならないという、やむにやまれぬ思いから、佐賀県社会福祉協議会が集めたボランティアの派遣団に参加し、神戸市須磨区の鷹取中学校避難所へボランティアスタッフとして避難所入りをしました。
二月の下旬に差し掛かった頃でした。
生活物資の配給係りや、たかとり新聞という避難所通信の開始、ボランティア連絡調整係などをさせてもらい、四月の終わり頃、大型連休になる前まで避難所にいました。
昨年、阪神大震災から17年と1日がたった1月18日、ふと思い立ち、鷹取中学校へ行ってみました。
一度、震災から三年目くらいに、行ったことがあったので、14年ぶりくらいの訪問でした。
訪れるにあたっては、震災当時避難していた方で一緒にボランティア活動をしていた方に連絡を取り、鷹取駅で待ち合わせをして落ち合うことにしました。
その方と鷹取中学校に向い、教頭先生の計らいで、校舎の中とグランドに入らせていただき、当時の光景を思い出しました。
そして、去年の今日が大阪泊まりの出張で、今年も今日、大阪泊まりの出張です。
写真のグランドには校舎の建物に沿うように物資のテントがずらっと並んでいました。
そして、グランドの半分以上が車で寝泊まりする被災者の方たちで、外側のフェンスに沿ってぐるっと青いビニルシートで作った被災者のテントがありました。
写真の玄関ロビーは、毎朝、毎夕方、避難所運営の責任者と、被災者の各班(教室割)の代表者がミーティングをしていた場所です。避難所責任者のN先生がハンドスピーカーを片手に被災に合われた方たちに話をされていたのが目に焼きついています。


18年前、私はどういう思いか、行かなければならないという、やむにやまれぬ思いから、佐賀県社会福祉協議会が集めたボランティアの派遣団に参加し、神戸市須磨区の鷹取中学校避難所へボランティアスタッフとして避難所入りをしました。
二月の下旬に差し掛かった頃でした。
生活物資の配給係りや、たかとり新聞という避難所通信の開始、ボランティア連絡調整係などをさせてもらい、四月の終わり頃、大型連休になる前まで避難所にいました。
昨年、阪神大震災から17年と1日がたった1月18日、ふと思い立ち、鷹取中学校へ行ってみました。
一度、震災から三年目くらいに、行ったことがあったので、14年ぶりくらいの訪問でした。
訪れるにあたっては、震災当時避難していた方で一緒にボランティア活動をしていた方に連絡を取り、鷹取駅で待ち合わせをして落ち合うことにしました。
その方と鷹取中学校に向い、教頭先生の計らいで、校舎の中とグランドに入らせていただき、当時の光景を思い出しました。
そして、去年の今日が大阪泊まりの出張で、今年も今日、大阪泊まりの出張です。
写真のグランドには校舎の建物に沿うように物資のテントがずらっと並んでいました。
そして、グランドの半分以上が車で寝泊まりする被災者の方たちで、外側のフェンスに沿ってぐるっと青いビニルシートで作った被災者のテントがありました。
写真の玄関ロビーは、毎朝、毎夕方、避難所運営の責任者と、被災者の各班(教室割)の代表者がミーティングをしていた場所です。避難所責任者のN先生がハンドスピーカーを片手に被災に合われた方たちに話をされていたのが目に焼きついています。

