武雄楼門が国の重要文化財になる
2005年04月24日
なみログ at 01:07 | 地域
2005年4月23日佐賀新聞朝刊1頁より
武雄の楼門が国の重要文化財になるかも知れない。
文化審議会が重要文化財に指定するよう答申しているという。
楼門は東京駅を手がけた建築家の辰野金吾が設計をしていて、楼門の正面の扁額には中林梧竹が書いた文字がある。
辰野金吾については、ほとんどどういう人だったか知らないが、中林梧竹は、私が小城高校に通ったこともあって、名前だけは高校の頃から知っていた。仕事をするようになり、旧小城役場の前にあった、梧竹記念館にも足を運んだ。
そのときはじめて梧竹の年譜を目にしたが、さまざまな偉業に驚かされた。中国との親交が深いというのと、富士山頂に立つ銅碑は梧竹の揮毫であるということなどが興味深かった。
佐賀には幕末に活躍した偉人たちを佐賀の七賢人と呼んでいるが、なんの佐賀には百賢人といっていいくらい人物がいたという。辰野金吾、中林梧竹がまさにそういった人物だ。
武雄の楼門が国の重要文化財になるかも知れない。
文化審議会が重要文化財に指定するよう答申しているという。
楼門は東京駅を手がけた建築家の辰野金吾が設計をしていて、楼門の正面の扁額には中林梧竹が書いた文字がある。
辰野金吾については、ほとんどどういう人だったか知らないが、中林梧竹は、私が小城高校に通ったこともあって、名前だけは高校の頃から知っていた。仕事をするようになり、旧小城役場の前にあった、梧竹記念館にも足を運んだ。
そのときはじめて梧竹の年譜を目にしたが、さまざまな偉業に驚かされた。中国との親交が深いというのと、富士山頂に立つ銅碑は梧竹の揮毫であるということなどが興味深かった。
佐賀には幕末に活躍した偉人たちを佐賀の七賢人と呼んでいるが、なんの佐賀には百賢人といっていいくらい人物がいたという。辰野金吾、中林梧竹がまさにそういった人物だ。