新田舎主義
2006年01月04日
なみログ at 12:08 | 地域
2006年1月4日(水)佐賀新聞朝刊1頁より
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
元日と昨日3日には、予定通り多久聖廟と祐徳稲荷神社に初詣に行った。
多久聖廟では、りんご飴を食べることを目的のひとつにしていたので、300円の小さいりんご飴を買った。
さてて、・・・ペロン。
べっこう飴なんだろうな。この飴は。美味しくない。。
なぜりんご飴かというと、りんご飴のりんごは『酸っぱい』という仮説を長年立てていて、まあ、過去の記憶なのだが、その『酸っぱさ』がいったいどれくらい『酸っぱい』か、というのを身をもって体験してみたかったからなのだ。
ペロペロ舐めていても埒があかないので、思い切って齧り付く。
しかし、なかなか齧れない。
こうなったら1点突破主義だ、とばかりに、歯を立てて一箇所を攻める。
おおお、ほどなく、りんごの身にたどり着いた。さてて、りんごの酸っぱさはと。。
・・・案外酸っぱくない。
結論:りんご飴のりんごは案外酸っぱくない。
とつまらん話はさておき、佐賀新聞は元日から、新田舎主義というテーマで特集を組んでいて、
今日の1面には、浜玉町のみのり農場を営む麻生さんのインタビュー記事が掲載されている。
みのり農場は、昨年佐賀新聞紙面でも取り上げられ、なみログでも書いたことのある、養鶏農場で、2004年度の食アメニティ・コンテストで農水大臣賞を受賞した農場だ。
みのり農場のホームページ
麻生さんの言葉に、
これからの農業は、農畜産物の生産や加工販売だけでなく、もっと観光や教育、癒しや健康、環境問題ともリンクしていく夢のあるもの。都会では決して実現不可能です。
とある。農業を中心としたライフスタイル、サービススタイルの充実と広がりにはますます期待したい。
新田舎主義ということで、田舎の魅力をもっと掘り下げたり、情報発信したりしていく試みにスポットがあたることは非常にいい。さらにプラスして大事なのが、新田舎主義というライフスタイル、サービススタイルに、客観的に評価される価値を与えることだろう。
言い方が難しいが、そういう価値を認める人々が多く増えなければならないし、そこに価値があるということを教えていく必要もあるだろう。
価値のあいまいなままで、新田舎主義とだけ掛け声をあげても、なかなか長続きはしないものだ。
例えばであるが、いまの佐賀ではこういうことを言う人がいてもおかしくない。
俺の代までは農業で本物の食を提供していくことだけを考えて一生懸命やってきたが、子供には都会に出て違う仕事に就いてもらいたい。
新田舎主義という言葉の裏に、新田舎主義の価値とは何か、その価値を知らしめたり、理解していく取り組みも必要だと思う。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
元日と昨日3日には、予定通り多久聖廟と祐徳稲荷神社に初詣に行った。
多久聖廟では、りんご飴を食べることを目的のひとつにしていたので、300円の小さいりんご飴を買った。
さてて、・・・ペロン。
べっこう飴なんだろうな。この飴は。美味しくない。。
なぜりんご飴かというと、りんご飴のりんごは『酸っぱい』という仮説を長年立てていて、まあ、過去の記憶なのだが、その『酸っぱさ』がいったいどれくらい『酸っぱい』か、というのを身をもって体験してみたかったからなのだ。
ペロペロ舐めていても埒があかないので、思い切って齧り付く。
しかし、なかなか齧れない。
こうなったら1点突破主義だ、とばかりに、歯を立てて一箇所を攻める。
おおお、ほどなく、りんごの身にたどり着いた。さてて、りんごの酸っぱさはと。。
・・・案外酸っぱくない。
結論:りんご飴のりんごは案外酸っぱくない。
とつまらん話はさておき、佐賀新聞は元日から、新田舎主義というテーマで特集を組んでいて、
今日の1面には、浜玉町のみのり農場を営む麻生さんのインタビュー記事が掲載されている。
みのり農場は、昨年佐賀新聞紙面でも取り上げられ、なみログでも書いたことのある、養鶏農場で、2004年度の食アメニティ・コンテストで農水大臣賞を受賞した農場だ。
みのり農場のホームページ
麻生さんの言葉に、
これからの農業は、農畜産物の生産や加工販売だけでなく、もっと観光や教育、癒しや健康、環境問題ともリンクしていく夢のあるもの。都会では決して実現不可能です。
とある。農業を中心としたライフスタイル、サービススタイルの充実と広がりにはますます期待したい。
新田舎主義ということで、田舎の魅力をもっと掘り下げたり、情報発信したりしていく試みにスポットがあたることは非常にいい。さらにプラスして大事なのが、新田舎主義というライフスタイル、サービススタイルに、客観的に評価される価値を与えることだろう。
言い方が難しいが、そういう価値を認める人々が多く増えなければならないし、そこに価値があるということを教えていく必要もあるだろう。
価値のあいまいなままで、新田舎主義とだけ掛け声をあげても、なかなか長続きはしないものだ。
例えばであるが、いまの佐賀ではこういうことを言う人がいてもおかしくない。
俺の代までは農業で本物の食を提供していくことだけを考えて一生懸命やってきたが、子供には都会に出て違う仕事に就いてもらいたい。
新田舎主義という言葉の裏に、新田舎主義の価値とは何か、その価値を知らしめたり、理解していく取り組みも必要だと思う。