まちづくりは教育から。
2006年03月26日
なみログ at 13:44 | 地域
2006年3月26日(日)佐賀新聞朝刊1頁より
以前から議論になっている佐賀県立病院好生館の移転問題。
今日の佐賀新聞一面に、佐賀市嘉瀬地区へ移転するということで、知事が方針を固めたとある。
この問題では、佐賀駅西の「どんどんどんの森」が選定されていたが、佐賀市の市有地譲渡拒否があり、一時候補地選定が頓挫していた。
とりあえずこれでひと段落といったところだろうか。
それから、2面、3面には、「まちづくりシンポin多久」の模様が掲載されている。
先日実家に帰ったときに最近の多久の小学生のことを聞いたら、論語を学んでいるという話があった。
へえ縲怐Aと思っていたのだが、シンポジウムの発言のなかにも、多久の小学生が論語を100くらいは覚えているという発言がでていて、本当の話だったんだ、と感心した。
私も多久出身だが、論語を覚えることなんてなかったので、ずいぶんと変わったものだな縲怩ニ思う。細かくいうと、聖廟のある地区は多久町というところで、私は北多久町の北部小学校だったので、聖廟との係わり合いも、小学生のころはほとんど理解していなかったといっていい。
聖廟のことや孔子のことを先生も教えてくれたと思うのだが、ほとんど覚えていない。ほかの同級生もだいたいそんな感じではないだろうか。
別に論語を暗誦できたからといってすぐに何かの役に立つわけではないだろうが、学ぶこと、勉強するこへの抵抗がなくなるだろう。
学ぶこと、勉強への抵抗をなくすというのは非常に大事なことだと思う。
野口悠紀雄氏の「超」勉強法という本だったか、パソコンアレルギーは、文字を早く打てるようにすることで克服できるとあったが、これは私がパソコンを始めた頃に実践した手法で、いまではWebプロデューサーになっているのだから、成功した方法だ。
いまでこそたまにはパソコンの使い方を教える側になるときもあるのだが、8年前、会社に入る前まではワープロのキーボードをちょっと触ったことがあるくらいで、パソコンはまったく知らなかった。
会社に入って何をしたかというと、定時が終わるととにかく文字打ちだけを徹底してやった。ちょうど手書きの小説の原稿があったので、これ幸いとばかりに練習のために、手書き原稿をデータ化していった。最初はぽつぽつと、キーボードを叩いていたが、不思議なもので打ち方が早くなり、そのうちブラインドタッチもできるようになった。1ヶ月もかかっただろうか。おかげで文字打ちの仕事から順次するようになり、HTML組んだり、イラストレーターというソフトやフォトショップというソフトも少しは扱えるようになった。
なんでも基礎なんだなあ、というのは経験値としてある。
で、まちづくりのことに強引に結びつけると、まちづくりは結局人がやることなので、人づくりということで、人づくりとはとどのつまり、教育ではないかと思うのだ。
というかみんもそう思っているだろうから、あらためて言うまでもないことだろう。
イギリスのブレアではないが、大事なのは、教育、教育、教育だ。
以前から議論になっている佐賀県立病院好生館の移転問題。
今日の佐賀新聞一面に、佐賀市嘉瀬地区へ移転するということで、知事が方針を固めたとある。
この問題では、佐賀駅西の「どんどんどんの森」が選定されていたが、佐賀市の市有地譲渡拒否があり、一時候補地選定が頓挫していた。
とりあえずこれでひと段落といったところだろうか。
それから、2面、3面には、「まちづくりシンポin多久」の模様が掲載されている。
先日実家に帰ったときに最近の多久の小学生のことを聞いたら、論語を学んでいるという話があった。
へえ縲怐Aと思っていたのだが、シンポジウムの発言のなかにも、多久の小学生が論語を100くらいは覚えているという発言がでていて、本当の話だったんだ、と感心した。
私も多久出身だが、論語を覚えることなんてなかったので、ずいぶんと変わったものだな縲怩ニ思う。細かくいうと、聖廟のある地区は多久町というところで、私は北多久町の北部小学校だったので、聖廟との係わり合いも、小学生のころはほとんど理解していなかったといっていい。
聖廟のことや孔子のことを先生も教えてくれたと思うのだが、ほとんど覚えていない。ほかの同級生もだいたいそんな感じではないだろうか。
別に論語を暗誦できたからといってすぐに何かの役に立つわけではないだろうが、学ぶこと、勉強するこへの抵抗がなくなるだろう。
学ぶこと、勉強への抵抗をなくすというのは非常に大事なことだと思う。
野口悠紀雄氏の「超」勉強法という本だったか、パソコンアレルギーは、文字を早く打てるようにすることで克服できるとあったが、これは私がパソコンを始めた頃に実践した手法で、いまではWebプロデューサーになっているのだから、成功した方法だ。
いまでこそたまにはパソコンの使い方を教える側になるときもあるのだが、8年前、会社に入る前まではワープロのキーボードをちょっと触ったことがあるくらいで、パソコンはまったく知らなかった。
会社に入って何をしたかというと、定時が終わるととにかく文字打ちだけを徹底してやった。ちょうど手書きの小説の原稿があったので、これ幸いとばかりに練習のために、手書き原稿をデータ化していった。最初はぽつぽつと、キーボードを叩いていたが、不思議なもので打ち方が早くなり、そのうちブラインドタッチもできるようになった。1ヶ月もかかっただろうか。おかげで文字打ちの仕事から順次するようになり、HTML組んだり、イラストレーターというソフトやフォトショップというソフトも少しは扱えるようになった。
なんでも基礎なんだなあ、というのは経験値としてある。
で、まちづくりのことに強引に結びつけると、まちづくりは結局人がやることなので、人づくりということで、人づくりとはとどのつまり、教育ではないかと思うのだ。
というかみんもそう思っているだろうから、あらためて言うまでもないことだろう。
イギリスのブレアではないが、大事なのは、教育、教育、教育だ。
この記事へのコメント
ご無沙汰しています。
以前来て頂いた『藁の家』の発展型のような
家を建てました。ほんとに土と木の家です。
川古の大楠公園方面へ来られるときは
お立ち寄り下さいませ♪
人づくりは教育…ですね。
教育というか、『学ぶ』ことって大人になっても大事ですよね。
だからこそ小さいうちから、
『学ぶ方法』とか『問題解決策能力』とかを身につけないといけないんじゃないでしょうか。
実はそれが国語だったり算数だったりするんですよね。
『人間万事塞翁が馬』って世の中ですもの
『人間至る所青山在り』てな感じで、
どんな状況にも対応できる人間になりたいなあと思う今日この頃。
それにはやっぱり、学び続けることしかないのかもです。
Posted by ゆんた at 2006年04月03日 17:09
ご無沙汰しておりました!
早いもので藁の家に行ったときからもう1年になろうとしますね。。
最近思うのは、読書をしていた効果というのを実感します。
1.まず本を読むのが苦にならない。⇒仕事で読む本の量も半端じゃないんですけど、苦にならないんですね。
2.早く読めるようになっている。⇒知らないうちに早く読めるようになっていました。⇒数が読める。
3.ポイント部分がなんとなく判る。⇒ビジネス書は目次を読めばポイントはわかりますが、小説でも、その小説の肝の部分が、早く見つけることができるようになったみたいです。
ほかにも、4.小説の場合、物語の疑似体験をとおして、人の気持ちがわかる、というのもありますね。
高校生くらいから読書の習慣をつけると、いろいろとプラスになることが多いのではと、思っています。
Posted by なみ at 2006年04月04日 21:01