プロフィール
なみログ
なみログ | Webビジネスコンサルタント
佐賀市在住
お知らせ
QRコード
QRCODE

才能は持ち上げて育つもの

2006年01月10日

 なみログ at 21:51 | 地域
2006年1月10日(火)佐賀新聞朝刊18頁より

なみログや、さがファンの他のブログで、新田舎主義についてのエントリーが続いた。
佐賀新聞に掲載された同じ記事に関心を持ち、それぞれが同時に似通ったり、違ったりした意見を持つ。それをブログに書き、それを見る人がいる。

そうやってブログは機能するから面白い。

今日の佐賀新聞には「さがルネッサンス構想」という見出しのコラムがあった。

内容は、山口亮一記念館を拠点に、さがルネッサンス構想が現在進行中で、今年春にもNPO法人化されるというもの。NPO組織は、佐賀での文化的活動に理解ある人々で記念館開館に協力いただいた人を中心に組織されるようだ。

具体的に何をするかというと、(傍線部分はコラムを引用)

世界レベルで活躍できる質の高い創作活動や、文化活動をされている人たちがこの佐賀に住んでいるのに、佐賀の人は知らないことが多い

ので、

佐賀では、あまり取り上げられないそんな人たちや活動を支援し、スポットライトを当てるため

とある。

面白そうだ。

ひとつ提案だが、すでに才能のある人の支援やスポットライトを当てるのに加えて、発展途上の人もぜひ支援し、スポットライトを当ててもらいたいものだ。

才能は持ち上げられて育つもの。
とくに若いときには。

そういう私ももう10年前になるが、初めて本格的に書いた小説が、佐賀県文学賞で評価され、そのときの嬉しい思いがきっかけで、そのとき小説を書いていこうと心に決めた。
就職してからは、小説も書かなくなったので、持ち上げられることは一切なくなってしまったが・・・残念。

才能というのは、いきなり高いレベルの人はいないわけだから、それぞれの段階で持ち上げられる機会があれば、モチベーションも一気にあがって、飛躍的に才能が開花するかもしれない。

才能があって出て来る奴はどんな環境でも出て来るが、予備軍を育てることも片方では大事なことではないだろうか。
いまのような経済情勢や社会環境であれば、佐賀から芸術家が育つのは難しいと思うからだ。

なあ縲怩ト。


同じカテゴリー(地域)の記事画像
阪神大震災から18年
目白で奄美んちゅの唄を聞く
勝手にPR。陶板花見弁当
多久まつりで
多久聖廟
同じカテゴリー(地域)の記事
 シャッター通り空き家ゼロの記事 (2013-09-25 23:50)
 阪神大震災から18年 (2013-01-17 17:47)
 えびすFM(佐賀市コミュニティFM) (2012-08-17 22:53)
 えびすFM(佐賀コミュニティーエフエム) (2012-02-06 18:32)
 目白で奄美んちゅの唄を聞く (2011-12-08 09:58)
 着きました (2010-10-30 14:28)

この記事へのコメント

セリフ盗んでいいですか?(笑)
最後のほうのセリフにしびれました。
佐賀からもビッグな人材絶対にいますよね。
Posted by コイケ at 2006年01月11日 22:17

はじめて公にコメントを書く気がします。
才能が伸びる如何は環境によるところは非常に大きい。

才能があれば、誉められ、持ち上げられて育つひともいれば、逆しかり。けなされ、その反動で昇るひともいます。
まわりにその意味を理解している環境があるか、ないかで、どえりゃ縲恊l生の歩む道の違いが…。
すげえ人でてきてほしいです。
Posted by もり at 2006年01月12日 01:53

???子供たちにために将来的にいろんな活動の選択ができるように環境を整え、支援するならまだしも、世界的な創作活動や文化活動をしている人に支援し、スポットライトを当てる?その人たちは佐賀の人たちに知られることを望んでいるの?そして「さがルネッサンス構想」?ルネッサンスって文芸復興だろう?支援してスポットライトを当てることが文芸復興なの?なんか視点がずれているような気がしてならない。
Posted by きむ at 2006年01月12日 23:45

きむ様コメントありがとうございます。

きむさんのコメントとは関係ない話になりますが、

佐賀で芸術家が育つためにはどうしたらよいのか考えたりします。
芸術家はどういう環境からでも出て来るものなのでしょうが、本文でも書きましたが、いまの佐賀では分が悪いような気がしてなりません。

佐賀の文学世界の端っこに身を置くものとして、文学だけについて言うと、文学の世界はあまりにも「育てる」ということに無関心ではないかと危惧をしています。
まあ、育てられたいと思って、自ら門を叩くものも少ないのですが、門を叩くものを待つのではなく、叩きやすいところに門戸を広げるなどの工夫も必要ではなかろうかと思ったりしています。
Posted by なみ at 2006年01月16日 18:32

そうですよね。文学に関して言えば佐賀新聞社が少しやっているくらいですか。少年野球がそうであるように山が高ければ高いほど裾野が広がる。逆に言うと裾野が広がってこそ高い山ができるのかも。そういった意味から言うと、義務教育の段階から、本を読むこと、文章を書くことをきちんと教え、育み、裾野が広がる活動を県レベルですべきではないでしょうか。そこをしてしっかり教え込まないと、日本人として日本語のすばらしさを認識しないままの大人ができあがってしまう。曖昧で、感覚だけの人になる。誰かがではなくわれわれ皆で作り上げたい。そういった活動から芸術、文化が育つのでは?
Posted by きむ at 2006年01月17日 23:42

きむさんどうも。

>誰かがではなくわれわれ皆で作り上げたい。そういった活動から芸術、文化が育つのでは?

胸が痛い言葉です。

文学についてはいくつか企画案を持っていますので、ひとつでもふたつでも実現していきたいなと思っています。

毎月アイスクエアビルでぼくが主宰している読書会は、来月は、「楢山節考」がテキストです。久しぶりに議論しがいのある作品をテキストにしました。どんな意見が参加者から出るかいまから楽しみです。
Posted by なみ at 2006年01月18日 09:52

その読書会について、どんな風に開催されているのか少し情報をいただければ嬉しいです。
Posted by きむ at 2006年01月19日 07:24

きむさん、おはようございます。

アイスクエアビルで、月1回、日曜日の午前中に、「たまには小説を読み込もう塾」というのをかれこれ丸2年以上開催しています。

課題のテキストを事前に読んできておいて、ぼくが僭越ながら進行役となり、小説の舞台や社会背景、主人公や登場人物の置かれた立場や心理状況などを読み解き、小説から感じることのできるわれわれの生活に役立つ事柄などを探っていきます。

と書くと難しいですが、そこまで掘り下げてはいません・・・(笑)

毎回6名くらいでやっております。
Posted by なみ at 2006年01月19日 07:38