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多久聖廟

2005年09月21日

 なみログ at 19:44 | 地域
2005年9月21日(水)佐賀新聞朝刊16頁より

私の実家のある多久市の横尾市長が三期目の出発をした。
私はいまは佐賀市民だが多久にも愛着をもっている一人なので、横尾市長三期目の記事を受けて、多久についていくつか書きたい。

多久市といえばまず多久聖廟が浮かぶ。高校に入学して同じクラスのものに多久聖廟のことを話したら、知らない者がいたことにはびっくりした。彼は佐賀市だったと思うが、案外知られていないんだなーと初めて現実を知った思いがした。

毎年必ず聖廟には初詣に行っていて、小学生のころからずっと欠かしたことがない。三が日に行かないときも、10日までには必ず行くようにしている。

その聖廟についても、よくよく見なければしらなかったことが多くあり、例えば、聖廟の正面部の両端の門柱の上にある、龍と象の彫り物。左と右で片方は口が開いており、片方は口が閉じている。阿吽からくるとかなんとかを聞いたか、なにかを見たかで知ることになったが、よくよく見ないとわからない。

それから、石の鳥居の扁額に書いてある文字。仰高とたしか書いてある。この言葉もなにか奥が深そうな気がするが、なんという意味がこめられているのかは知らない。

ほとんど知らないことづくしな多久聖廟だが、祭られている銅の孔子像は他の地域にある孔子像よりリアルでかっこいい。長崎の孔子廟にいったが、あそこに飾られている孔子像は、ずんぐりむっくりでかっこいいものではなかった。(ような気がした)

こんなこともあった。数年前、作家の五木寛之氏が多久市中央公民館に講演に来たとき、その冒頭で、多久聖廟のことについて触れた。
五木氏いわく、「多久聖廟は、前からもいいが、後ろから見たときの佇まいもいいですね」とかなんとか。
それを聞いたとき、何人の多久市民がしまったと思っただろうか。その後多くの多久市民が、聖廟の後ろからの佇まいをはじめてみることになったと想像ができる。
もちろん私もその一人。(笑)
ただ五木氏がなにをもって後ろから見る佇まいがいいといったか??彼の感性にまではまだ至っていないが。(苦笑)

ということで、多久聖廟にいかれた際は、後ろからの佇まいを見てみることをおすすめする。


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この記事へのコメント

駐車場の整備や、西渓公園との間の道路が拡幅される前の多久聖廟に行ったことがあります。
当時の多久聖廟は深山幽谷の雰囲気がありました。
公園化、環境整備したのはそれはそれで理由があったのでしょうが、「笄を買うために髪を売る」ことになってなければよいのですが。
Posted by hutongmi at 2005年09月21日 22:01

hutongmi様 コメントありがとうございます。

>当時の多久聖廟は深山幽谷の雰囲気がありました。

分かります。たしかにそうでしたね。
ぼくが高校の頃でしょうか。いまのようになったのは。
前は、小さい駐車場がいまの芝生のところにあって、階段をあがってから、参道でした。

hutongmiさんのように感じとることのできる感性は、いまの時代に大事なのかも知れませんね。

同じような感慨をもって考えたことがあるところが、天山の登り道にあたる今出川の蛍公園のところです。あれはあれで整備がなされて、河畔公園としては立派なのですが、小学生のころ、今出川をハヤ釣りのホームグラウンドとして、そのあたりを釣り歩いていた僕などは、整備する必要があったのかな?と思ったりします。
とはいえ、整備されたおかげもあって、夏には車も止め易いことから、川遊びをする家族連れも増えているようなのでうれしいことなのですが。

いつもコメントありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いします。
Posted by なみ at 2005年09月24日 19:45