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東京芝公園で桜ちらほら
東京芝公園で桜ちらほら。
今朝は、コートをはおらずに出た。
芝浦から芝公園まで通勤に徒歩20分。
ようやく、桜がちらほらと咲きはじめたようだ。
今住んでいるマンスリーマンションの隣のコンビには、震災の影響が最後には響いたのか3月31日で閉店。あっという間にも抜けの殻になっていた。
ほかにも、田町駅の芝裏側にあるラーメン屋さんも閉まっていたな。
そういう影響もあるだろう。
もちろん東北地方はそれどころじゃない被害。
大学生のとき阪神大震災のボランティアに長く行っていたこともあり、いろんなところから電話やメールをもらうが、今の身分ではどうしようもなく、大変申し訳なく思う。
経済人として身を置くものとしては、経済復興に力を出す以外に、自分ができることは無いと思っている。
今朝は、コートをはおらずに出た。
芝浦から芝公園まで通勤に徒歩20分。
ようやく、桜がちらほらと咲きはじめたようだ。
今住んでいるマンスリーマンションの隣のコンビには、震災の影響が最後には響いたのか3月31日で閉店。あっという間にも抜けの殻になっていた。
ほかにも、田町駅の芝裏側にあるラーメン屋さんも閉まっていたな。
そういう影響もあるだろう。
もちろん東北地方はそれどころじゃない被害。
大学生のとき阪神大震災のボランティアに長く行っていたこともあり、いろんなところから電話やメールをもらうが、今の身分ではどうしようもなく、大変申し訳なく思う。
経済人として身を置くものとしては、経済復興に力を出す以外に、自分ができることは無いと思っている。
東京での業務再開
昨日、佐賀から東京へ移動してきた。
今日から東京営業所で通常業務を開始した。
しかし、昨夜と今朝の余震は思いのほか揺れた。ま、ずいぶん馴れたけど。
車窓から雪景色
名古屋までは雲一つない快晴で 名古屋すぎて ちょっと眼をつぶっていたら雪です。
それにしても なんと不公平な天気なんだろう。
半蔵門と虎ノ門
東京の、麹町のお客様のところへ行く用件があった。
三回行った事があり、なんとなく以前地下鉄半蔵門駅で下車した記憶があったので、
ホームに降り、どこの出口から出たらよいかを、案内板を見て確認した。
どこだったかな???と。
事前に、詳しい番地を、メールでもらっていたので、さてさて、番地の確認をと、携帯でメールをチェック。
※メールをもらっただけで、本文は事前に確認をしていなかった。
虎ノ門4丁目??
えっ?
虎ノ門?
ってどこ?
あわてて、地下鉄案内板で虎ノ門を探した。
虎ノ門という駅はあるにはあるが、4丁目となるとまたぜんぜん遠いのが判明。
到底歩ける距離ではない。
そこで地下鉄改札口の駅員さんに聞いたところ、神谷町という駅が最寄だというのが判明。
しかし不幸はまだ続く。
日比谷線に乗り換えないとならないのを、まちがって丸の内線に乗ろうとしてみたりと、
日比谷と大手門を二回行き来したあげく、ようやく神谷町駅に到着。
午前中もかなり歩いた上に、夕方すぎにその始末。
完全に夜には足が棒に・・・
なれんなー。
はやく人間になりたーい。
じゃなかった、
はやく佐賀に帰りたーい。
という感じです。
さがファンブロガーのみなさん。足あと拝見しました。
多くの方に見ていただいていて、ありがとうございます。
明日は、大阪、その次の日は京都。
ま、がんばります。
三回行った事があり、なんとなく以前地下鉄半蔵門駅で下車した記憶があったので、
ホームに降り、どこの出口から出たらよいかを、案内板を見て確認した。
どこだったかな???と。
事前に、詳しい番地を、メールでもらっていたので、さてさて、番地の確認をと、携帯でメールをチェック。
※メールをもらっただけで、本文は事前に確認をしていなかった。
虎ノ門4丁目??
えっ?
虎ノ門?
ってどこ?
あわてて、地下鉄案内板で虎ノ門を探した。
虎ノ門という駅はあるにはあるが、4丁目となるとまたぜんぜん遠いのが判明。
到底歩ける距離ではない。
そこで地下鉄改札口の駅員さんに聞いたところ、神谷町という駅が最寄だというのが判明。
しかし不幸はまだ続く。
日比谷線に乗り換えないとならないのを、まちがって丸の内線に乗ろうとしてみたりと、
日比谷と大手門を二回行き来したあげく、ようやく神谷町駅に到着。
午前中もかなり歩いた上に、夕方すぎにその始末。
完全に夜には足が棒に・・・
なれんなー。
はやく人間になりたーい。
じゃなかった、
はやく佐賀に帰りたーい。
という感じです。
さがファンブロガーのみなさん。足あと拝見しました。
多くの方に見ていただいていて、ありがとうございます。
明日は、大阪、その次の日は京都。
ま、がんばります。
目が回る・・・
午前中から、目が回ったり、ふらふらとしたり・・
<目が回る>
と形容してみたが、実際には、左から右に天井が動くような感じ。
結構スピードがある。
目を瞑っても、ぐるんぐるんと、動いているような感じだ。
午後からは治まったのは治まった。
※昨夜読んだ、横溝正史の獄門島とは何の関係もないことである。
横溝正史面白し。
<目が回る>
と形容してみたが、実際には、左から右に天井が動くような感じ。
結構スピードがある。
目を瞑っても、ぐるんぐるんと、動いているような感じだ。
午後からは治まったのは治まった。
※昨夜読んだ、横溝正史の獄門島とは何の関係もないことである。
横溝正史面白し。
アラン・シリトーとウォズニアック
アップルⅠとアップルⅡを開発したスティーブ・ウォズニアックの自伝に、
彼が、若い頃、アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」を読み、主人公の思考、思想とでもいおうか、に感化された。というようなことが書かれている。
アラン・シリトーはイギリスの作家なので、アメリカではないが、炭鉱町育ちで非インテリであり、怒れる若者たちと呼ばれる作家の一人でもあった。
ウォズニアックも読んだアラン・シリトー。アランの短編集は何回読んでも面白い。
彼が、若い頃、アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」を読み、主人公の思考、思想とでもいおうか、に感化された。というようなことが書かれている。
アラン・シリトーはイギリスの作家なので、アメリカではないが、炭鉱町育ちで非インテリであり、怒れる若者たちと呼ばれる作家の一人でもあった。
ウォズニアックも読んだアラン・シリトー。アランの短編集は何回読んでも面白い。
SAPIO・・・
今朝7時30分。博多駅新幹線ホームの売店。
今週のSAPIOをどうしても読みたいと思い、探す。
あった。
新幹線の発車がせまっていたので、慌てるようにお金を払い、車内に滑り込む。
ふぅ~。間に合った。
一緒に買った、缶コーヒーをぐびっと、一口。
※あ、今日の缶コーヒーは冷えています。
落ち着くなあとひとりごち。
さあて、と。さきほど買ったSAPIOを悠々とレジ袋から取り出し、
目当ての記事を、目次で探す。
ん?
んんん?
無いやん?
あれ?もう新刊?
と何日号なの?と表紙を見る。
違和感。
S・・・P・・・A!
SPA! ?
あ、SAPIOやないや~ん。(泣)
※淀屋橋のコンビニで一冊刺さっていたのをゲットできました。チャンチャン。
今週のSAPIOをどうしても読みたいと思い、探す。
あった。
新幹線の発車がせまっていたので、慌てるようにお金を払い、車内に滑り込む。
ふぅ~。間に合った。
一緒に買った、缶コーヒーをぐびっと、一口。
※あ、今日の缶コーヒーは冷えています。
落ち着くなあとひとりごち。
さあて、と。さきほど買ったSAPIOを悠々とレジ袋から取り出し、
目当ての記事を、目次で探す。
ん?
んんん?
無いやん?
あれ?もう新刊?
と何日号なの?と表紙を見る。
違和感。
S・・・P・・・A!
SPA! ?
あ、SAPIOやないや~ん。(泣)
※淀屋橋のコンビニで一冊刺さっていたのをゲットできました。チャンチャン。
ちゃんぽんにツルツル箸
先日、某所で長崎ちゃんぽんを食べた。
※某所とは長崎でもなく、佐賀でもないところです。
味は・・・本場長崎ちゃんぽんと、幟には書かれていたが、う~ん。長崎からちょっと距離があるからか、ちょっと違った。
でもまあ、食べれないことは無かった。
塩とんこつみたいなスープでしたねえ。
それで、こまったのが、割り箸ではなく、ツルツルした箸で食べなくてはならず、麺がするりするりと何べんも箸から抜けていくという具合で、どうにもこうにも食べずらい。
ちゃんぽん麺自体、少し太いし、表面もツルツルしているし。
環境のことを考えると割り箸でないのがよいのは納得するけれど、もうちっとすべらない箸はなかっただろうかなあ・・・と思ったりした。
日曜日は、さがファンブログでおなじみの、池田屋さんで佐賀ちゃんぽん食べました!マスターごちそうさまでした。
※某所とは長崎でもなく、佐賀でもないところです。
味は・・・本場長崎ちゃんぽんと、幟には書かれていたが、う~ん。長崎からちょっと距離があるからか、ちょっと違った。
でもまあ、食べれないことは無かった。
塩とんこつみたいなスープでしたねえ。
それで、こまったのが、割り箸ではなく、ツルツルした箸で食べなくてはならず、麺がするりするりと何べんも箸から抜けていくという具合で、どうにもこうにも食べずらい。
ちゃんぽん麺自体、少し太いし、表面もツルツルしているし。
環境のことを考えると割り箸でないのがよいのは納得するけれど、もうちっとすべらない箸はなかっただろうかなあ・・・と思ったりした。
日曜日は、さがファンブログでおなじみの、池田屋さんで佐賀ちゃんぽん食べました!マスターごちそうさまでした。
龍馬伝
大河ドラマはこれまで見たことがなかったが、龍馬伝はなぜか欠かさず見ようと思い、見ている。
※岩崎弥太郎役の香川照之はいい味だしていると思う。(多くの人の評判はしらないが)
坂本龍馬 竜馬?については、高校2年のときに<竜馬がゆく>を、授業中本の内側に隠しながら数日で読み、それからしばらくは竜馬関連の本を読みあさったりしていた。(いまはほとんど読まないし、ほとんど内容も忘れた・・)
個人的な関心は、明治の後半にはたしか、竜馬は歴史の記憶から忘れられていたということと、それから数回の竜馬ブームを経て、(司馬遼太郎の竜馬がゆくが最大の効果をもたらした)というのが起こり、今では、国民的ヒーローにまでなっているというところ。
龍馬が歴史の表舞台に出てきて、龍馬像が創られてきた背景や過程を考察すると、なにかそこに、人が求めてるもの、人を惹きつけるいろんなことのヒントが出てくるような気がする。
地創地消
マーケティングやプランニングの世界に身を置くものとして、
一昨年くらいから口に出して言っているキーワードに、
<地創地消>
という言葉がある。
農産物の地産地消ならぬ、地域の文化や芸術の地産地消版で、<産む>を<創る>に置き換えてみたもの。
さがファンというショッピングモールを開設したのは、2005年の6月だから、今年で丸5年を迎えようとしている。さがファンの企画自体は、それから前の2003年には企画書を書いていたので、かれこれ7年、8年になる。
さがファンというコンセプトやWebサービスを考えた理由はいくつかあるが、<情報の受信だけに終わる>生活ではなく、<情報を創る側に回る>ことの必要性を感じたことも、理由の一つだった。
テレビ、雑誌、音楽、映画、本といった多くの人が目にし、耳にし、手に取る芸術や文化の多くが、佐賀以外の人と手で創られたものばかりの現実の中、一つでもいい、少しでもいいので、佐賀にいる僕たち自身の手で、何かを創り、発信していければどれだけ楽しいか。また幸せか。とくに若い人たちにその活動を通して得られるものは少なからずあるのではないか。
<さがファン>で何ができるか、まだまだ考えないと。
一昨年くらいから口に出して言っているキーワードに、
<地創地消>
という言葉がある。
農産物の地産地消ならぬ、地域の文化や芸術の地産地消版で、<産む>を<創る>に置き換えてみたもの。
さがファンというショッピングモールを開設したのは、2005年の6月だから、今年で丸5年を迎えようとしている。さがファンの企画自体は、それから前の2003年には企画書を書いていたので、かれこれ7年、8年になる。
さがファンというコンセプトやWebサービスを考えた理由はいくつかあるが、<情報の受信だけに終わる>生活ではなく、<情報を創る側に回る>ことの必要性を感じたことも、理由の一つだった。
テレビ、雑誌、音楽、映画、本といった多くの人が目にし、耳にし、手に取る芸術や文化の多くが、佐賀以外の人と手で創られたものばかりの現実の中、一つでもいい、少しでもいいので、佐賀にいる僕たち自身の手で、何かを創り、発信していければどれだけ楽しいか。また幸せか。とくに若い人たちにその活動を通して得られるものは少なからずあるのではないか。
<さがファン>で何ができるか、まだまだ考えないと。
ファン・インターネットのミッション
私が勤める会社のWebビジネスグループという名称が、1月1日よりファン・インターネットになった。
(正式には、ファン・インターネット事業部)
印刷会社の中にあるWeb構築会社から、いわゆる普通のインターネット関連事業部門となるための第一歩だ。
けれど、この決断。10年早かったらなあ・・・。せめて5年早かったら。
と悔やむ気持ちがないわけではない。
ぼくたちが何ができたかというと、何もできなかった可能性があるし、一昨年からのリーマンショックによる世界不況の荒波をざぶっとかぶって、ハイそれまでよ、で終わっていた公算も高い。
とすると、まだまだ小さい組織だが、いまの底のような状況のときにスタートするのもまた良しなのかもしれない。
ファン・インターネットという名前は、12月の末に急に決まった。それまでは別の名称を考えていたのだが、いかんせん、長すぎた・・・。
ということで、もちょっと短い名前にしようということになり、一夜考えて浮かんだのが、ファン・インターネット。
<さがファン>の<ファン>を受けた形だ。
名前というのは面白いもので、ファン・インターネットという名前にする前は考えていなかったやりたいことが、ファン・インターネットになったとたんに浮かんできた。
ファン作りのお手伝いというのは、さがファンショップやさがファンブログの根底にあるテーマには違いないが、さらにもう一つ、
<新しい価値の創造による新たなファン作りのお手伝い>
というミッションが浮かんだ。
佐賀県のさまざまなもの、企業、商品、地域社会、文化、芸術、歴史などの中に、新たな価値を見つけ磨き、そのファンを増やす。全国の多くの人でもいいし、特定の人たちでもいい。佐賀特有の何かに新たな価値を見出したり、創ったりして、そして多くのファン作りをしたらどうだろうと思った。
そしてなにより、その価値創造に<挑戦>してみようと思った。
読書会の練習
さがファンブログ考
昨日は木こりさんのお店であったオフ会に参加した。
準備に奔走された関係者のみなさんありがとうございました。
はじめての方ばかりで少しばかり緊張したが、不思議なものですぐに打ち解けることができた。
いろいろと楽しい話を聞かせてもらったし、話もさせてもらった。
人の話を聞くというのは面白い。外回りの営業の仕事をしていると、よく、「いろんな方に出会えて楽しそうですね」といわれる。
しかし、ビジネスの商談で出会う人はあくまで「ビジネス」「商談」であって、気のおけない間柄の方ではない。もちろん、仕事関係以上のお付き合いをさせてもらっている方もいるけど、仕事の時間は、あくまで「仕事の時間」なのだ。
生の声、市民の生の声
とよくいうが、私の場合、
ほんとうに、生の声を聞くことのできる時間って、一週間のうちにどれくらいあるのだろうかと思う。
そういうことを考えると、昨日のオフ会はまさに生の声をいろいろと聞ける良い機会になった。
さがファンブログの使い方や利用目的は人それぞれ。サガン鳥栖の応援仲間を増やしたり、お店のことを知ってもらったり、観光資源をPRしたり。
さがファンは、情報を消費するだけの生活から少しでも多く、情報を創造する側に回りたい、という想いを結実させるために考えられた地域インターネットサービスだが、
さがファンはもはや、だれかがあらかじめ作ったパッケージサービスの域はとうに越えて、
さがファンに関わる人たちみんなの手で創られているものなのだ、
としみじみ思った。
※マルシェ巻きは、相変わらずサイコーの旨さだった!
準備に奔走された関係者のみなさんありがとうございました。
はじめての方ばかりで少しばかり緊張したが、不思議なものですぐに打ち解けることができた。
いろいろと楽しい話を聞かせてもらったし、話もさせてもらった。
人の話を聞くというのは面白い。外回りの営業の仕事をしていると、よく、「いろんな方に出会えて楽しそうですね」といわれる。
しかし、ビジネスの商談で出会う人はあくまで「ビジネス」「商談」であって、気のおけない間柄の方ではない。もちろん、仕事関係以上のお付き合いをさせてもらっている方もいるけど、仕事の時間は、あくまで「仕事の時間」なのだ。
生の声、市民の生の声
とよくいうが、私の場合、
ほんとうに、生の声を聞くことのできる時間って、一週間のうちにどれくらいあるのだろうかと思う。
そういうことを考えると、昨日のオフ会はまさに生の声をいろいろと聞ける良い機会になった。
さがファンブログの使い方や利用目的は人それぞれ。サガン鳥栖の応援仲間を増やしたり、お店のことを知ってもらったり、観光資源をPRしたり。
さがファンは、情報を消費するだけの生活から少しでも多く、情報を創造する側に回りたい、という想いを結実させるために考えられた地域インターネットサービスだが、
さがファンはもはや、だれかがあらかじめ作ったパッケージサービスの域はとうに越えて、
さがファンに関わる人たちみんなの手で創られているものなのだ、
としみじみ思った。
※マルシェ巻きは、相変わらずサイコーの旨さだった!
棒ラーメン金龍
オフ会参加してます
博一ネット・・
2008年1月22日(火)佐賀新聞朝刊10頁より
加藤博一氏が亡くなった。
西日本スポーツのトップは博一さんの記事だった。
佐賀新聞の10面。
県内関係者の声のなかで、前佐賀商業高校監督の田中公一氏は、博一さんが多久工業高校(現多久高校)の野球部だったときの監督だったという。
悲しみの声のなかに、「・・・当時レフトのフェンスが低く、打球が越えていくのでネットを高くしてもらったほど」という言葉が。
多久の少年野球の間には伝説的に伝わっていた、
『博一ネット』
始めてマスコミに掲載される形で言及されたのではないだろうか。
ほかにもこんなエピソードもある。
多久北部小学校時代。
レフトを守っていた博一さんが、ライトフライをレフトから取りに走って行って、早すぎてライトを越してしまった、とか。
(北部小学校の私のときより二つ上?までの監督だった、体育教師だった西山先生が、確か語っていたエピソード。)
私は別に野球がうまかったわけではないので、中学校で野球はやめたが、博一さんの伝説はこのように覚えていた。
加藤博一氏が亡くなった。
西日本スポーツのトップは博一さんの記事だった。
佐賀新聞の10面。
県内関係者の声のなかで、前佐賀商業高校監督の田中公一氏は、博一さんが多久工業高校(現多久高校)の野球部だったときの監督だったという。
悲しみの声のなかに、「・・・当時レフトのフェンスが低く、打球が越えていくのでネットを高くしてもらったほど」という言葉が。
多久の少年野球の間には伝説的に伝わっていた、
『博一ネット』
始めてマスコミに掲載される形で言及されたのではないだろうか。
ほかにもこんなエピソードもある。
多久北部小学校時代。
レフトを守っていた博一さんが、ライトフライをレフトから取りに走って行って、早すぎてライトを越してしまった、とか。
(北部小学校の私のときより二つ上?までの監督だった、体育教師だった西山先生が、確か語っていたエピソード。)
私は別に野球がうまかったわけではないので、中学校で野球はやめたが、博一さんの伝説はこのように覚えていた。
加藤博一さん・・・
元プロ野球選手の加藤博一さんが肺がんのため横須賀市内の病院で亡くなられた。。。
多久市出身。
ご冥福をお祈りします。
※多久市長になってほしかった。。
多久市出身。
ご冥福をお祈りします。
※多久市長になってほしかった。。
1月17日 阪神淡路大震災から12年
2006年1月17日(水)佐賀新聞朝刊5頁より
阪神淡路大震災から12年。
今年も3通の年賀状を、神戸の方からもらった。
1組は被災者の方、1組は被災者ながらボランティアに駈けずり回っていた人、1組は避難所統括の先生。毎年ありがとうございます。
神戸市須磨区の鷹取中学校避難所に、佐賀からボランティアで入ったのは震災が起こったあとの2月の中旬。あの年と比べると、とくに九州はなんて暖かいんだろうと思ったり。かなり寒かったので。
さて、その下の記事には、宮本常一氏のことを引用するコラムが。
ちょうど、忘れられた日本人、という宮本氏の本を読んでいたので、目がいった。
コラムは、劇団わらび座(本拠地秋田)のミュージカル「棟方志功 炎じゃわめぐ」というのを見た筆者が、わらび座の劇団代表である是永幹夫氏について書いた内容で、
是永氏は、民俗学者の宮本常一氏にあこがれ、19歳のとき東京・府中にあった宮本氏の家を訪れ、書生としてお茶くみでもさせてくださいと頼んだが、実現しなかったというエピソードを持つことに触れ、その後慶応大に進み、劇団を起こした。
是永氏は結局宮本氏と直接やりとりする機会はなかったが、宮本氏を心の師として思ってきたというもの。
詳しくは佐賀新聞を。(全国配信の記事だと思うので、各県の地域紙を)
宮本常一氏については、その著作になみログでも何回か触れたが、ほんとうに興味深い。
先日某新聞社の記者と話す機会があり、その中でも宮本氏の話が出た。
若い?僕らの世代でも好きな人は何人かいる。
宮本常一氏の著作については、岩波文庫で買えるので興味のある人はぜひどうぞ。
飯をたべる金を本に費やすのもまたいいぞよ。
阪神淡路大震災から12年。
今年も3通の年賀状を、神戸の方からもらった。
1組は被災者の方、1組は被災者ながらボランティアに駈けずり回っていた人、1組は避難所統括の先生。毎年ありがとうございます。
神戸市須磨区の鷹取中学校避難所に、佐賀からボランティアで入ったのは震災が起こったあとの2月の中旬。あの年と比べると、とくに九州はなんて暖かいんだろうと思ったり。かなり寒かったので。
さて、その下の記事には、宮本常一氏のことを引用するコラムが。
ちょうど、忘れられた日本人、という宮本氏の本を読んでいたので、目がいった。
コラムは、劇団わらび座(本拠地秋田)のミュージカル「棟方志功 炎じゃわめぐ」というのを見た筆者が、わらび座の劇団代表である是永幹夫氏について書いた内容で、
是永氏は、民俗学者の宮本常一氏にあこがれ、19歳のとき東京・府中にあった宮本氏の家を訪れ、書生としてお茶くみでもさせてくださいと頼んだが、実現しなかったというエピソードを持つことに触れ、その後慶応大に進み、劇団を起こした。
是永氏は結局宮本氏と直接やりとりする機会はなかったが、宮本氏を心の師として思ってきたというもの。
詳しくは佐賀新聞を。(全国配信の記事だと思うので、各県の地域紙を)
宮本常一氏については、その著作になみログでも何回か触れたが、ほんとうに興味深い。
先日某新聞社の記者と話す機会があり、その中でも宮本氏の話が出た。
若い?僕らの世代でも好きな人は何人かいる。
宮本常一氏の著作については、岩波文庫で買えるので興味のある人はぜひどうぞ。
飯をたべる金を本に費やすのもまたいいぞよ。
仕事始め。
1月5日(金)
仕事始めでございます。
今年もよろしくどうぞ。
新年の読書履歴
・東野圭吾 「白夜行」
・東野圭吾 「手紙」
他ビジネス書数冊。
仕事始めでございます。
今年もよろしくどうぞ。
新年の読書履歴
・東野圭吾 「白夜行」
・東野圭吾 「手紙」
他ビジネス書数冊。
台風13号
住んでいるアパートのベランダの隣との間仕切りが壊れていた。
多久市の実家へ帰ったら、台所の窓ガラスが割れていた。
個人的にはそれくらいの被害で済んだが、佐賀県内では、亡くなった方が3名と、重軽傷者19名を出す、深刻な被害となった。
今回、連休ということもあって、台風報道を家のテレビで見ることになった。
土曜日の午後は、九州ローカルテレビは普段再放送枠になっているからか、生放送で台風の進路情報や各地の被害の情報を伝える特番があっていた。
福岡のローカル局は、平日も、自主制作の番組が増えているので、緊急のときはそういう枠を使って生放送ができるんだなあ、と改めて実感することとなった。
それにしても、年々雨や台風などの自然災害が猛烈になってきている気がする。
土砂崩れや山崩れ、河川の増水など、これまでは大丈夫と思っていても、今回は違うという場合も増えた。今一度、家の周りの地理環境は、把握しておく必要があるようだ。
多久市の実家へ帰ったら、台所の窓ガラスが割れていた。
個人的にはそれくらいの被害で済んだが、佐賀県内では、亡くなった方が3名と、重軽傷者19名を出す、深刻な被害となった。
今回、連休ということもあって、台風報道を家のテレビで見ることになった。
土曜日の午後は、九州ローカルテレビは普段再放送枠になっているからか、生放送で台風の進路情報や各地の被害の情報を伝える特番があっていた。
福岡のローカル局は、平日も、自主制作の番組が増えているので、緊急のときはそういう枠を使って生放送ができるんだなあ、と改めて実感することとなった。
それにしても、年々雨や台風などの自然災害が猛烈になってきている気がする。
土砂崩れや山崩れ、河川の増水など、これまでは大丈夫と思っていても、今回は違うという場合も増えた。今一度、家の周りの地理環境は、把握しておく必要があるようだ。